カテゴリー「お山(昔話)」の13件の記事

のめしこき

2009年 8月30日 (日)     

稲穂も頭を垂れ、
秋祭りの季節となりました.
夜になると遠くから、近くから、祭りの花火の音が聞こえてきます.

どーーーん      どーーーん

どどどーーん    どどどーーん

九月の半ばまで続きます。

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(昔話)

先日、Sさんが以前預けておいたUSBメモリーを持ってきてくれました.
中に、昔の写真のデータが何枚か入っておりました.

198?年3月上旬頃のことでございます.

1、目   的    雪洞使って冬のお山
2、目的の山    苗○山
3、めんばあ    Sさん、私  以上2名

 たぶん土曜日の午後出かけたのだと思います。
リフトを乗り継いで和田小屋の上まで行き、雪洞を掘って潜り込みました.
カッサダムを見おろせる位置でした.雪洞の中にツエルトを拡げ、宴会の始まりです.
と言っても、私もSさんもお酒に強い方ではございません.適当なところでカップラーメンを食べて寝ることにしました.ところがラーメンを作る水がたりません。
 「のめしこき(怠け者)」の二人は二合ほど余っていた焼酎に目をつけました.
「煮たててアルコールを飛ばせば、水と同じだろう」ということで、焼酎を煮立ててそのお湯でラーメンを作りました.・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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酔っ払いのやることです
 真似しない方がいいと思います!!

1kagura



















翌朝は深い霧の中を神楽峰に向かいました.
遠くの稜線と思われるあたりに、木が見えます(まだあんなにある)・・・・・・・・.と思って歩いていくと
20mほどで稜線でした.
標高が上がるに連れて木々が小さくなり、すぐ近くの木が遠くの木に見えてしまったのです.濃い霧のかかっているときはよく起こす錯覚ですが、この時はすっかり勘違いしてしまいました.
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最低鞍部付近でしょうか、ここまでスキーを使いました.

正面、中央部の尾根を登ります.

六根清浄    お山は晴天

晴れてきました。

3nobori  
よっこらしょ

どっこいしょ

一ヶ所だけ足場の雪が不安定なのでザイルを出しました.
上部はアイゼンが気持ちよく効きました.

4top





















もちろん どなたもいらっしゃいません

静かなお山でございます.

お尻の下は 新潟県側の山小屋の屋根だと思います.

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手前の斜めの線が小屋の屋根でございます.

屋根の上の雪は吹き飛ばされてほとんど積もっておりません.

この時の積雪は「ちょうど小屋が埋まる深さ」でした。

もと来た道を戻ります。

六根清浄     お山は晴天

お天気に恵まれて

よかった  よかった      Sさんに 感謝 多謝 !!

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最近の庭先のお客様

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ふわふわと 心許ない飛び方ですが、彼らにとってはそれが当たり前。
私ども人類よりも歴史は長いようでございます。

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プレーボール!!

2009年 2月10日 (火)  

津南町を出るときは曇りでしたが、
小千谷市(岩沢地区)に入る頃には雪に変わりました.

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ここのところ,三月下旬並の積雪・お天気が続いています.
例年なら当たり前の雪ですが,雪祭りの実行委員の方には恵みの雪でした。
残念ながら午後には雨に変ってしまいました.

(雪が少ないということは、私とっては,この上もなくありがたいのですが・・・雪が降らないと困る人もいるので、雪国での話題は難しいところもあります.)

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さて, 昔話「Mt.Mc」もいよいよ最終回となりました.

(前記事 「Mt.Mc」〜「行きがけの駄賃」の続き)


「197X年7月27日 晴 LP(ランデングポイント)からハドソン氏(パイロット)に交信を試みるが応答のないまま1日が過ぎる.」ランディングポイントには、Mr.ハドソンのトランシーバーとバッテリーとアンテナが置かれたままになっていますが、トランシーバーの使い方がよく分かりませんでした.


【謀反】 私を含む2年生は3人、私は食料係、二人づつ食当(食事当番)をするのですが,私は毎日ずーーーーっと食当。一番入り口に寝て、時には(4人用テントに6人寝たとき)半分内張りの外(前室)にはみ出して寒い思いをし、毎朝一番に起き。ずぅーーーーーーっと朝・晩,停滞の日も毎日食当をやってきました.そしてついに【謀反?】を起こしたのです.「食料は充分ありますから、これからは皆さん好きなものを好きなだけ自分で調理して食べてください.私を食事当番から開放してください.!」日本の山で合宿中に下級生が勝手にこんなことを言い出したら【反逆罪】で即「バットウ(罰当番)」ですが,さすがにこの時は誰も文句は言わず,受け入れてもらえました.そもそも「バットウ(罰当番)」になったところで基本は炊事当番ですから、今までと同じです.それでも「リーダーの命令は絶対」の世界で言い出すのはかなりの勇気が必要でした。

「7月28日 晴  LPからタルキートナ(下山)」
Mt.ハンターの崖の方にカラスのような黒いものが見え、やがて ブーーンと蚊の鳴くような音がして,それが近づくにつれて少しづつ・少しづつ音が大きくなり、少しづつ姿が大きくなり、ようやくセスナだと分かる.山がでかい。
 セスナから降り立ったMr.ハドソンの手には缶ビールが・・・・・・

OH! YES! YES!! YE〜〜〜S!!!!!

「コングラチュレーションズ!!」  「サンキュー!!」


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「そこいら辺のお山」を見ながら帰ります.

レンジャーステーションに下山報告ののち、ホテル(Inn?)でシャワーを借り、チキンの夕食をご馳走になる.やっとシャワーと「食事らしい食事」にありつける。(宿泊はMr.ハドソンのキャビン(物置?)トイレはキャビン脇の一坪ほどの小屋掛け、1方向はオープンでドアはない.四角い木の箱の上面に便座型に穴がくり抜かれただけの代物)


【行きがけの駄賃、もひとつおまけに!!】

H隊長はほんとに欲張りです!!

【プレーボール】
 ディナーを食べながらH隊長が言いました.「これが終わったら野球だからな」・・・????????
 下山してからのわずかな時間の間に、出会った近所の子供たちに野球の試合を申し込んできたのだそうです.集合時間が夜の7時半だったか8時だったか忘れましたが,それくらいだったと思います.夜、星がたくさん見えるようになってきたとはいえ、まだまだ白夜の国です.夕食後でも野球ができます.グラウンドに行ってみると小学生から高校生くらいのまでいろんな年代の子供たちが集まってきます.おばあちゃんの運転するジープに乗ってくる小さな子供もいれば、馬に乗ってパカパカパカとやってくる中学生くらいの女の子もいます.大きい子も小さい子もおじいちゃんもおばあちゃんも、一緒に遊びにでかけるところがすごい。 私の住む田舎だって昔は大きい子が小さい子の面倒を見ながら遊んでいたものですが,私の年代くらいから「同じ学年」としか遊ばなくなりました. そうそう、野球は人数が足りないので、何人か助っ人を頼んでやって、結局、勝ったのか負けたのかは覚えていません.
「参加することに意義がある」です・・・。
   
「7月29日 晴 タルキートナからアラスカ鉄道でアンカレッジに移動。YMCA泊」


【8月2日】 8月2日まで自由行動のため、登山用具は不要となり,アラスカ鉄道の駅に預かってもらうことにする。どうも話がうまく通じないらしい.「ダメだ」と断られたらしい.マネージャーのM副隊長ねばる。「おーがすと・トゥー」「ノー」????暫く脇で聴いていた他のお客さんが「オーガスト・セカンド?」・・・・「yes!! おーがすと・せかんど!!」。「おーがすと・トゥー」(august 2のつもりが  august too と解されたらしい)。「8月2日」は「august 2nd」でした。窓口のおじさん両手を広げて「Coffee time!!」

「7月30日 荷物の整理、領事館への報告を済ませ、8月2日まで自由行動とする。」
 私とモリは、予算がないので,アンカレッジ郊外のキャンプ場で過ごしました.テント脇の林に入ってみたら…突然目の前に大きな動物が…ムース!!!牛よりでかい!!まさか、市街地からいくらも離れていないこんなところまで『野生』が共存しているとは・・・・・性格は温厚のようで,のそのそと立ち去って行きました,


【ジャパニーズ・ドライバーズライセンス】
 M副隊長がレンタカーを借りて迎えにやってきた.さすがに用意がいい??
よく聞くと、学生証を提示して「ジャパニーズ・ドライバーズライセンス」と言い張って、借りてきたのだそうです.「用意がいい」のではなく「度胸がいい」のでした.(時効?)交差点を曲がる度に、反対車線に入りそうでスリル満点!

「8月3日 アンカレッジ発東京へ」 
羽田へは、先輩や仲間が向かえにきてくれてました.この日の夕食は、確かお寿司だったと思います.

6、Result  
大変おもしろかった!!(目的達成!!)

(以下、前の記事『Mt.Mc』と重複します)
※参考資料 デナリ国立公園ホームページ
     日本語の登山ガイドもPDFでアップされています.とても具体的で親切な案内書です.興味のある方は読んでみるだけでも楽しいと思います.
     また、年毎のサマリーを見ると,その年のルート別の入山者数や登頂率、事故や気象状況などを知ることができます.
     ちなみに、近年の入山者数は年間1200〜1300人くらいで、登頂率は50〜60%くらいのようです。
注、1 単位はfeetですが,5万分の一地形図は現在日本国内でも入手できるようです。(例えば マップハウス など,ネットでも入手可)

注、2 以上,私のうんと昔の個人的な体験・感想ですので,あまり現在の登山のための参考にはならないと思います.
  登山は,あくまでも各人の責任の下に行ってください.万一、この一文を参考にして何かトラブルが起こっても当方は一切責任を負いません.一応、念のため.


ようやく 昔話 「Mt.Mc」シリーズは終了です.

  いちがさけもうした
 
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去年の一月にこのBLOGを始め、

今回がちょうど 100件目の記事になるようです.

当初の目標の「最低1年は続ける」は、何とか達成できたので、

もう一年,続けてみようと思います.  越後屋 拝 

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六根清浄 お山は晴天

よっこらしょ

どっこいしょ

 あわてない

  あわてない


疲れたら・・・

 休めばいいさ。

 ・・・・・
 ・・・・・
 ・・・・・                                                                      

 一休みしたら

また
 よっこらしょ
  どっこいしょ・・・・・・

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行きがけの駄賃

2009年 2月 5日 (木)   

春よ来い
 早く来い
歩き始めた・・・・・・・

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今日は, 『靴』 でおでかけです.
長靴でもなく、ブーツでもなく
『靴』で外出です.

念のため申し上げますが,
この日は2月の5日で,場所は 新潟県の津南町です.
例年なら、一番雪が降る時期です。

特に,我が家の周囲は遅くまで雪がのこりますので、
春になって、自宅から普通の『靴』で外出できるようになると,
しみじみと  を感じます.(今回はかなり例外的ですが・・・)

赤い鼻緒の じょじょ履いて
おんもへ出たいと待っている・・・・

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さて、もう少し昔のお話の続きです。

(前記事「Mt.Mc」「ペテン師」および「てっぺん」の続き)

【行きがけの駄賃】
「197X年7月20日 ガス・曇り 南峰全員登頂で当初の目的は果たすことができたが,日数の余裕もあるので,北峰をアタックすることに決め、凍傷のMOBと体調不調のモリをC2に残しあとの4人でC3(デナリパス5550m)入りする。」
 H隊長は欲張りです.私たちはまったく知らなかったのですが,H隊長とM副隊長は最初から北峰を狙っていたようです.下調べも十分してあったようです.そういえば、送り出してくれたOBも「せっかく出かけるんだから、目一杯楽しんでこい。登ったからといって、時間余らせてさっさと帰ってくるんじゃねえぞ.」と言ってました.「目的の山に登頂したのだから、やっと帰れる」と思った私たちは甘かった.その後,会社に入ったばかりのころにも先輩に言われました.「何事にも『ついで』というものがあるんだ」と・・・・・

(画像はクリックすると拡大されます。)
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「7月21日 曇り 北峰(5900mちょっと?)登頂 北峰手前の18990Feet Peakを目指して進む。岩峰にまっすぐ伸びているルンゼの右側を捲くようにしてフィックス(固定ロープ)160mを張るが、岩質が脆くハーケンは効かない。取り付きから6ピッチでPeakに立つ。(この辺で雲の上に出る.真っ青な空が広がる)Peakより雪原を進み北峯の稜線に出る.頂上がどこか分からないほど平坦である.交信にてC2に登頂を伝え、C3に戻る.」
 岩陵部はまたガス・ガス・ガス(雲の中)。ガスであまり高度感がなかったのが幸いしてか、必死だったせいか、岩場部分は何とか通過。頂上台地に出ると雲の上に出ました.やっぱり周囲が見えた方が「登った」という実感がします.

【群青色の空】(昔話のその又昔話.) 昔,山の雑誌でアンデスの山の写真を見たときに,空の色が青というよりも群青色をしていて『さすが宇宙に近いんだな』と感じたことがあります.『青い空がそのまま宇宙につながっているという』イメージです。北峰の頂上でもなんとなく『この空はつまり宇宙なんだ』あるいは『少しばかり宇宙に飛び出した』という感じがしました.(実際は来る途中のジャンボジェットの方が宇宙に近いところを飛んでいたのですが・・・・。)

北峰頂上にて,
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六根清浄 お山は晴天

よっこらしょ どっこいしょ

あわてない あわてない・・・・・・・

 もちろん三角点も,頂上の標識もありません.「どっちを向いてもこの辺ではここが一番高いから,この辺が頂上」です。右から,ナベ・M副隊長そして私.はしゃぐ余裕は残っていたようです.私のゼルプストバンドに繋がっているのが『雲古Zeil』です。

 しばし頂上の景色を楽しんだ後、またガスガスの雲の中に降ります.この時は,ただ隊長の言われるがままでしたが,今にして思えば,この時北峰に登っておいてよかったと思います.滅多に出かけられませんし,毎年沢山の人が南峰(主峰)に登るようになった今日でも、北峯に登る人は極端に少ないでしょうから,ちょっとは自慢になります.この日はC3(5550m)泊。

「7月22日 曇り 北峰にも登頂し,さすがに皆疲れと高度障害を訴えているが、C2にC1まで降りることを伝える.相変わらずの天候の中を出発.デナリパス下のトラバースは慎重にスタッカット(常にどちらか片方が確保しながら交互に行動する)で進む.C2にて合流しC1に降りる.」

【虫歯】私もH隊長も山に入ってから虫歯が痛みだしました.コンジスイという薬を使って痛みを抑えていましたが,だんだん薬の効く時間が短くなり、ついには効かなくなりました.H隊長は夜中にゴソゴソとテントの外の雪をとって冷やしてこらえています.私は何とかこらえましたが,長期間山に入る場合には、今痛くなくても、ちゃんと虫歯の治療をしてから出かけた方が良いようです.ちなみに,日本に帰ってから歯医者さんへ行ったのですが,歯医者さんの打つ麻酔がほとんど効かないで痛い思いをしました.(素人考えでは、たぶん,鎮痛剤の使い過ぎのせいだと思います。)

「7月23日 曇り・晴・曇り スキー隊とズッポ(スキーなし)隊に分かれるが、スキー隊は調子良くいかない.C1より少し下るとクレバスが相当多く、大きくなっている.ルートを探すのに骨が折れる.ウインディーコーナーからスキー隊は快適に飛ばしていく。この頃より晴れ間が出てきたが,デポ地の上の急斜面はクレバスが大きく口を開き苦労する.BC(カヒルトナパス)に着くころになると完全にガスに包まれ、赤旗に導かれながら到着する.」 

 確かに雪国育ちで、「バッチテストは無理だけど、大抵の斜面は(横滑りも含めて)何とか降れる(つもりの)」私でしたが,数十キロのキスリングを背負っての滑降はまったくもって不慣れで,急傾斜の所では苦戦しました.


「7月24日 曇り 停滞」

【行きがけの駄賃,もう一丁!】H隊長は欲張りです.
「7月25日 晴 カヒルトナドーム登頂。 ナベと越後屋を除く4名で,カヒルトナドームを目指す.10790Feet Peakとのコル目指してスキーをつけて進む.コルへの斜面はさしてクレバスもなくスムーズに登行できる.10600Feetにスキーをデポして、アイゼンをつける。尾根は広く安全に登ることができる.頂上までラッセルしながら進む.登っていくにしたがってマッキンレー方面の雲がなくなり、展望が開ける.13:00頂上の一角に出るがそれから広く緩やかなドーム状の斜面となって続いている。40分ほどかかって頂きに達する.時折ガスが開けてまことによい展望台である.下山にかかり300mほど下ったところからガスに包まれるが、行きのトレースと旗竿とを忠実に辿りBCへ着く。」

 南峰は登ったし,北峰も登ったし,さて帰れるか・・・・と思ったら大間違い,「まだ時間も食料もあるから、もう一つ登って帰ろう」ということで、希望者のみですが,カヒルトナ・ドームに登頂.

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【トイレ】ナベと私は南峰と北峰に登頂したので,カヒルトナ・ドームはパス。ナベの誕生日なので休養ということにして一日のんびりする.退屈したのでイグルーで豪華なトイレを作る.当時はトイレについて特別制限はなかったようですが、現在は一旦分解性の袋に回収してクレバスの中に処分するようです(参考資料)。この日は風もなかったのでTシャツ姿でひなたぼっこができました.

「7月26日 晴 BC〜LP(ランディングポイント) スキーをつけて快適に(?)カヒルトナ氷河を滑る.氷河は一変してクレバスが大きく開いてズタズタになっているが、1ヶ月前に通った時に比べてかえって状態がはっきりしていて通過しやすい.」

【スキー滑降】
ザックいっぱいの荷物を背負って、アンザイレンして氷河の上を滑降するのですが、今にして思えばずいぶん大胆なことをしたなと思います.一人がクレバスに落ちたら、相方も絶対に止められないから一緒に墜落です.快晴の下、アンザイレンした状態で左右に並んで間隔を保ちながら氷河の上を滑ったときの景色は今でも鮮明に覚えています.この頃になるとクレバスの中には水が溜まっているのが多かったです.底なしの不気味な群青色の水溜です.
 幅50cmほどのクレバスの向こう側の縁に、毛糸の手袋が左右、ペタン、ペタンと張り付いていました.もしや誰か落ちたのでは?一瞬ドキンとしましたがどうも落ちたのではなさそうです.落ちそうになって這い上がったけれど、手袋を回収する元気が残っていなかったようです.
 クレバスの無い地帯では氷河の上に水たまりができている所もありました.その付近にはクレバスが無いことがわかります。

氷河上から、上部を振り返る.
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 真っ青な空の下,広いカヒルトナ氷河を「豪快に」滑ります.と言っても、キスリングいっぱいの荷物を背負った私とM副隊長は,ザイルに繋がったまま横並びになっての滑降です。左手に運○ザイルのループを持ち,常に間隔をキープしながらの滑降です.ザイルの適度のたるみがなくなったり、相手の転倒・停止・減速に気づかないと,引き倒されてしまいます.気をつけないとクレバスも口を開けて待ち構えています.今にして思えば,私のスキー技術のわりには、結構大胆なことしてたと思います.

(あと少しだけ・・・・  続く)
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我が家の裏の、ムラサキモクレンの芽は、

まだ,厚いオーバーの襟を立てたままです.

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てっぺん

2009年 2月1日 (日)  

今朝の津南町(大割野地区)
昨日の雨は、夜になるとともに雪に変わりましたが、
ほとんど積もりませんでした.
今朝も,先ほどは,ふわふわと風に舞う程度の雪で
時折薄日が射しておりました.
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(昔のお話)

『てっぺん』 (記事『Mt.Mc』および『ペテン師』の続き)


「197X年7月15日 雪  停滞」

「7月16日 快晴 C1よりC2(5240m)に入るM副隊長・ナベとC2への荷上げ隊H隊長・越後屋・モリ・MOBで進む.皆元気で結構はかどる。積雪は深いところで股下くらいである.コルより1ピッチで前回のデポ(荷物の集積)を回収し、そこより2ピッチでC2予定地(5240m)に到着。」ここから頂上を狙います.


(下の地図は、クリックで拡大します)
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(たぶんC1手前(12,300feet)の辺りからのMt.フォーレーカー)

「7月17日 快晴 M副隊長・ナベはC3(デナリパス5550m)建設に向かい、他はC1からC2入りする。デナリパスへの斜面は所々クラストしており、傾斜もきつく雪崩誘発の恐れ大いにあり。」 デナリパスへの斜面は、今でもしばしば滑落事故の発生する場所のようです.

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(たぶんC2からのMt.ハンターとM副隊長)
なにしろ、お天気のよいときにしか写真を撮りませんので、
お天気の良い時しかお伝えできないのが残念です.


【ラッセル】スキー隊はウエストバットレス取り付きの4600mくらいまでスキーを使用する.上部はかなりのラッセル.かんじきを目一杯前に出しても、体重を移動すると元の位置までずり落ちてしまい,なかなか前(上)に進めません.私は雪国生まれなのにラッセルが下手だとバカにされました.(ほんとは他の人よりちょっとだけ足が短いだけなんですけど・・)新雪雪崩誘発も怖い所です.上部にはFIXザイルがありました.もちろん他のパーティーがいないので新雪が降るとトレースなんかありません.全員C2入りし、アタック体制整う。
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さて、いよいよ登頂です。
「7月18日 晴・ガス・雪 南峰登頂 朝方より真っ赤な朝日がさして天候が崩れると思われたので、出発を1時間早めて出発する.2オン3パーティーに分かれて進む.デナリパスまでに高度障害が出た者がいて、各パーティーにより大分差が出てくる.パスより視界が悪くなり始めるが、トレースは微かについている.ウエストバットレス分岐点より尾根はなだらかになり、帰りの道が危ぶまれるので赤旗を10mおきに立てながら進む.パスより2ピッチ半で頂上につく。午前10時25分である。頂上は赤旗とフィックスドバーがあるがここが真の南峰かと疑わしいほど視界が悪い。頂上より3パーティー合流してC2に戻る.」
 この日は,私とM副隊長のザイルパーティーは快調で先頭を切って稜線に出ました.が・・・・後続がこない.吹雪の中で待つこと25分,ようやく合流.

よっこらしょ
 どっこいしょ
  全員仲良く登頂です。



【登頂】ようやく「てっぺん」到着です。視界は全く効かないホワイトアウト状態ですが、写真で見覚えのある太いジュラルミンのポールが立っていました.「やった」という気持ちと「これで帰れる」という気持ちが半々くらい。「猿回し(ザイルにつながれた人間が、ザイルの届く範囲で行動)」で周囲を確認するが,写真で見た頂上の地形とほぼ一致します.周囲で一番高い所にほぼ間違いないようですし、ポールも立ってます。ちなみに,南峰頂上での写真は持ってません.誰か撮影していると思うのですが・・・・。

 景色も見えないので、とっとと下山です.

【高度障害】日本を発つ1週間前、高度順化も兼ねて富士山の頂上で1泊しました(6月の末だというのに猛吹雪でテントが飛ばされそうでした。それで即、高度順化ができたとは思いませんが,山に入ってからの体の対応が少しは早まったと思っています)。
 だいたいその時弱かった順に障害が出ていたように思います.私の場合は、疲れているのに眠れない程度で、あまり酷い頭痛にはならなかったと思います.それよりも虫歯が痛みだしたのには困りました.若干、意識障害の認められる者も居りました、医療係のモリは行動中頻りに「薬箱は誰が持ってるんだっけ?」と言ってました.彼が持っているので、そのことを確認するのですが、しばらく歩くと又同じ事を言い出します.それが高度障害によるものか低体温症によるものだったのかは定かではありません.頂上直下の風の強い斜面の所々に他の隊の「嘔吐」のあとがありました.あるいは「高所大脳浮腫」が既に始まった人達の痕跡かもしれません.無事に下山できたのでしょうか?少なくとも「早急に下山させなければならない」状況だったと思います.

 
 テントに帰ってしばらくすると,同じ日に登頂したR大の3人パーティー(彼らは、私たちより下部にテントを張っていた)が下って来たので,「オレンジジュース」を振る舞いました.「おいしい.ごちそうさま有難う」と言って下って行ったのですが,あとでこれを味見したらどうもおかしい.同じ黄色の粉「コーンポタージュ」の粉末を水溶きして飲ませてしまったようです.私も雑になっていたんですね.さらに、登頂祝いにコーヒーゼリーを作ったのですが,早く冷やそうと思って外の雪の上にコッフェルを出しまして.その上に雪のブロックを載せてテントに入ったのですが・・・・
コッフェルのふたがそこにある!,慌てて外を見ると雪のブロックが丸くくりぬかれてコッフェルの中に入っていました.登頂直後で疲労困憊とはいえ致命的なミスでなくて良かったです. (あわてない あわてない・・・)

【C3(デナリ・パス)】
ここにキャンプを設ける隊は少ないのかもしれませんが,C2(5240m)から頂上(6194m)アタックするとかなり長時間の行動になり,避難場所として有効だと思います.また、デナリパス(C3)からの下りの斜面トラバースは雪崩や強風の為帰りに通過が困難となることがありますので,C3を設置して正解だったと思います.実際、C3から一度下りかけたけれど、地吹雪で足を置くまで足元の傾斜すら分からない状況になり、引き返し、C3で風が弱まるのを待ったことがあります.また,私たちは北峰へのアタックキャンプとして使用しました.
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「7月19日 曇り 休養停滞」

【凍傷】登頂の日にMOBさんの足が軽い凍傷になりました.6人の中で唯一ダブルの靴を使用していたのですが,靴の手入れが悪かった(何度かの遠征でかなり使い込んでいた)ようです.インナーとアウターの間に霜が降りていました.治療は炊事用の圧力釜にお湯を入れその中で・・・・・。ちなみに私はこの山行の為に新調したLOWAのチベッタ(シングル)という靴に毛糸の靴下二枚で、あとはスパッツという出で立ちでした.当時の写真を見ると、オーバーシューズは使っていなかったようです.あとは時々アルコールで足を拭いて清潔の保持に努めました。結局凍傷騒ぎはこの一件だけでした.素手でピッケルやアイゼン等金属に触るとひっついてしまう等は日本の冬山と同じです.とにかく靴とシュラフはこの時新調しました.羽毛服等はOBから拝借しました.寒さが、一番体力を消耗させると思います.

【最低気温】
C2(5240m)でマイナス23度くらいまで下がりました.「くらい」と言うのは、持参した温度計の下のメモリがマイナス20度までしかなかったからです.C3(デナリパス5550m20日・21日・22日)ではもう少し下がっていたと思います. 夏(7月)とはいえ、北極圏のすぐそばのお山です.(ちなみに、空気の薄さはヒマラヤの7000m級に匹敵するそうです.赤道に近い方が,大気の層が厚いのだそうです.)

【C2】
C2に滞在中も周囲は私たちのテントだけでしたが,周囲を探検したら潰れかけた雪洞がありました.高さ6〜70cmほどの這ってしか入れないものでしたが,結構広くて,残置された食料等が散乱していました.いざというとき(テントが吹き飛ばされた時?)つかえるかなと思いました。
 その後、植村直己さんが消息を断ったのはこの辺です.どちら側に落ちてもクレバスに落ちたり、雪に埋まってしまったのならば、たぶん半永久的に発見できないでしょう。

(もう少し 
続く・・・

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ペテン師

2009年1月28日(水)  

28日 午前9時 津南町役場    積雪 67cm

平成18年1月28日 午前9時 同所 積雪348cm

17日に屋根の雪下ろしをしてから、我が家の周辺では、ほとんど降雪がありません。
雨が降ったり,晴れだったりして,
ついに我が家の屋根の上の雪は無くなってしまいました,

私にとっては大変ありがたいことです.

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午後,所用で中野市に行ってきました,上の写真は、 快晴の高社山です。

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(昔のお話)

『ペテン師』(前記事 昔話、『Mt.Mc 』のつづき)

「197X年7月8日 雪〜曇り 停滞 雪は依然として止まず、新雪が1mほどとなる.」
【シール】私たちはスキーにシールを貼って使用していました.私は父所有のシール(アザラシ皮の本物のシール)を無断で拝借して使用しておりました,たしかにナイロンシールより毛足も長く性能はよかったのですが・・・・・。クラストしたときの雪面はガラスの粉を撒いたように鋭いです.一日行動すると皮を台布に縫い付けている糸があちこち切れてきます.しまいには皮がちぎれてとれていきます.毎日のように縫い直し(お裁縫)。最後には皮は半分位しか残っていませんでした.もう少し油を染み込ませ皮を柔らかくしていたらあそこまで酷くはならなかったと思います.日頃の道具のお手入れですね.

(画像はクリックすると拡大されます。上が北です)
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「7月9日 霧 丸3日間降り続いた雪はようやく止んだと思われたが、天候の回復はならず、視界はまったく効かない.先行したBC建設隊とRCで合流し、一気にBC入りできると思ったが、BC予定地確認できずBC手前と思われる場所に幕営する。」
 
【ホワイト・アウト】氷河上でもよく「ホワイトアウト」になりました.とにかくとんでもなく濃い霧です.トレースはもちろんのこと、少しはなれると先行者の姿すら分かりません.地図と観察(傾斜の変化等)だけが頼りです.他のパーティーもほとんどいない(私の記憶では、約一ヶ月弱のあいだ山の中で出会ったのはせいぜい4パーティー9人くらいだったと思います)ので自分たちでルートを探すしかありません.前の足をつくまでは平らなのか傾斜しているのか分からないような状況はしばしばです.10mも離れれば前の人が分からなくなるようなそんな濃い霧(ガス)がかかります.mistではなく間違いなく「FOG」です。また、氷河(クレバス)の状況もどんどん変わっていってるように思われました.コンパスはどうも使った記憶がありません.たぶん、北極圏/磁北に近いので使いずらかったのだと思います.


【標識旗】ホワイト・アウトの時は標識旗が頼りです。私たちの持参した赤布は薄暗いとき見難かったです.所々に残っている他の登山隊の残したピンクやオレンジの蛍光色の標識旗がガスの中では見易かったです.ただし、氷河の状況は常に変化しているので、それらの旗が残っている場所の周囲が安全であるという保証はありません.ルートも安全も毎日自分たちで確認です.

「7月10日 晴 朝起きてみると、昨日天幕を張った地点よりBCまで時間にしてわずか10分足らずであった.BC到着後デポ回収しBC入り完了となる.」 朝起きて外を見ると、ほんの数十メートル山側に高さ10mもあるような大きな雪のブロックが転がっていました.昨日今日落ちたものではなさそうですが,そんな大きなブロックが落ちてくるような場所に入り込んでいたのです.山際に近寄り過ぎてました.(地図上のB.C.手前の小さな×印の所)雪渓の上と同じで、ついつい「高い方へ高い方へ」と行ってしまいます.


【白夜】そう、白夜の国です、この時期真夜中でも「真っ暗」にはなりません。お天道様もお月様も、頭の上をぐるぐるっと回って、暫くの間だけ山の向こうに隠れて、真っ暗にならないうちに、また暫くで顔を出す。夕焼けがそのまま朝焼けになってしまいます。.最初の頃はそんな感じで、夜になっても真っ暗になりませんでした(だから夜中も行動できたわけですが).慣れるまでなかなか寝付けませんでした.アイマスクを持っていけばよかったと思います.それから,テントの色は黄色より青いテントの方が眠りやすかったです.黄色いテントは日が陰ってからでも内部がまぶしいです.

「7月11日 晴〜雪 晴れ渡った空を見上げC1(4360m)までの荷上げを開始する.BCよりすぐに急な斜面が続く。1ピッチのところでなだらかになり,スキーをデポする.傾斜は幾分急になり,高度をどんどん稼ぐ.ウインディコーナーまでは別段問題はない。ウインディコーナー左側の岸壁の裾を回り込むようにして進む.中央部は極端にへこみ,クレバスだらけである. C1予定地(4360m)には外国隊(あえて言うなら、我々の方が『外国人』だと思うのですが・・・・)の天幕が1張り設営してあり,その後方に6人用テントを設営し、荷物をデポしてBCに引き返す.」

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氷河上から本峰を見上げる.(たぶん右奥が頂上)
 BCまでの荷上げ中に私のスキーは折れてしまい、トタン板を巻いて修理して(?)使っていました.滑走面にはシールを貼るので,何とか使えました.BCから上部はスキーを使用するのは3人だけになり,私は他の人のスキーを借りて登行を続けました。
 
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氷河上のどこか(R.C.2からの9300feetピーク?)
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たぶんB.C.(カヒルトナパス手前、氷河下流を見下ろす.)

「7月12日 雪・風 怪しげな天気の中をC1(4360m)へ向かう.Mt.Mc頂上には笠雲がかかっており,天候は思わしくない.高度障害がではじめ、皆のペースは上がらない.」

【ウインディーコーナー】ウインディーコーナーはその名のとおりいつも風の強い所でした.ウインディーコーナーの手前で,一度岩陵に出ます.ずーっと雪の上(どこにクレバスがあるか分からない)所を長い間歩いて来た身にとって、風で雪が吹き飛ばされ、地べた(岩)が露出しているその場所はクレバスの可能性が無いので「ちょっとホッとする」場所でもありました.
【『雲◯Zeil』の誕生】
 その時私はMOBさんとザイルパーティーを組んでました.ウインディーコーナーに差し掛かるころにはお天気が地吹雪状態になると同時に、私のお腹の中にも嵐が迫りつつありました.しばし立ち止まり,『緊急腸内残存物排出行動』をとらせていただいたのですが,・・・・・その直後、強風によりZeilに不幸な出来事がおこりまして.それから先そのザイルは『雲◯Zeil』と命名され,私専用(もちろんパートナーがいますが)となりました.

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たぶん、カヒルトナ氷河上のどこか

「7月13日 曇り BCまでの逆ボッカ(下のキャンプまで荷物を取りに行ってくる)隊、H隊長・越後屋・モリとC2(5240m)荷上げ隊M副隊長・ナベ・MOBに分かれて行動する.荷上げ隊はウエストバットレスのコルを目指してラッセルする.コル直下の傾斜は45度近くあり、雪崩誘発の危険大。コルからのウエストバットレスは思ったより細い尾根であり,所々フィックス(固定ロープ)もある。左側をやや捲きぎみに登る.コルより1ピッチで17230Feetピーク手前のコルにつき、荷をデポしてC1に戻る。」

(画像はクリックすると拡大されます.上が北です)

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【c1(4360m)ベイスン】私たちはこの場所をC1としましたが,現在はこの場所に夏になるとレンジャー・ステーションが設けられ,トイレまで設置されているそうです.現在はウエストバットレス周辺ルート(ウエスタンリブ等)の場合この場所をBCとするのが一般的のようです.

「7月14日 快晴 停滞 晴れわたった空の色が美しいが、Mt.Mc頂上には雪煙があがっており風強し。休養停滞とする.」


【娯楽係】MOBさんはあくまでもオブザーバー的立場なので,役割担当なし。自称「娯楽係」日本の歌の入ったカセットテープを持参してくれました.小柳ルミ子さんやアグネスチャンさん、中条きよしさん・・いろんな曲の入ったテープでした.それまでは小柳ルミ子さんや中条きよしさんの曲にはあまり興味なかったのですが,繰り返し繰り返し聴くうちに何となく馴染んでしまいました.山行の後半になると、演歌っぽい曲をを聴くと何だか日本が懐かしくなってしまいました.
 日本に帰ってから気づいたのですが,実際の曲は、私たちが聴いていたのよりずっと早いテンポでした.そうです.電池の消耗により少しずつ少しずつモーターの回転数が遅くなっていたのです.そして私たちは少しずつ少しずつスローテンポ(しかも低音)に慣れさせられていたのです.

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C1からのMt.ハンター(かっこいい山です)

【ペテン師】娯楽係のMOBさんは、「みんなのタバコを管理してやる」と言ってみんなのタバコを集めました.一人1カートン(20箱)くらいづつ持ち込みましたから、皆の分を集めると結構な量になります.・・・ところがいつの間にか、MOBさんは自分で買ってきたのとは違うタバコを吸っています.「一服するか?」差し出されたタバコ・・・「それ私のじゃないですか?」・・・「お!そうか。わりいわりい。ま、細かいことは気にしないで・・・・」いつもの調子です.

(よくある,帰国後仲が悪くなったとか,そんなことはございません。念のため)

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『ペテン師』のMOBさん ね、・・・如何にも「それらしい」風体でしょう?
手にしているのは,間違いなく『誰か』のタバコです.
向こうのお山はデナリーズ・ワイフのMt.フォーレーカー、なんとエレガントなお山でしょう.


(続く)

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Mt.Mc

2009年 1月25日  

(23日 9:00 津南町役場 積雪 70cm)

今日(25日)の津南町は,朝から晴れています.

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『うんとこさ,あっちのお山』(昔話)
しばらく山に行けない事情がありまして,コタツにあたりながら昔話でも・・・.

うんとこさ昔の、うんとこさあっちのお山のお話でございます.

とんと昔があったと・・・・・・

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1、目  的 おもしろい山登り
           (『とにかく、おもしろい山登りしようぜ』と誘われて、
             ついその気になってしまいました.計画書上は
         「ウエストバットレスからのMt.Mc南峰登頂」となってます)

2、目的の山 Mt.Mc
       (アラスカにある標高6000mちょっと(と言っても私の最高
        到達点)の山、現在の正式名称は Mt.DENALI)

3、登山期間 197X年,7月2日〜7月28日

4、メンバー H隊長(4年)、M副隊長(4年)、ナベ(2年)、モリ(2年),越後屋(私2年)、MOB(1年目のOB),(以上6名)

5,行動
(以下「 」内は当時の報告書からの引用、一部変更/補正あり。追加記入した部分は、かなり昔の記憶なので記憶違い等もあると思いますが、広〜い心でご容赦願います.又標高の単位がfeetとmが混在してますがそれもご容赦)

「6月30日 晴 羽田からアンカレッジ(YMCA泊)」
 飛行場からタクシーに乗る.信号機で車が止まる.交差点を右から左にセスナ機が横切っていく・・・・。道路と滑走路の交差点のようです.いきなり度肝を抜かれました.

「7月1日 快晴 日本領事館へ挨拶,食料・燃料等買出し。(郊外のキャンプ場泊)」
 ちなみに、私は食料を担当しており,日本から持ち出した食料は小豆の粉と寒天(水羊羹用)のみで、あとは現地調達(アンカレッジで購入)。輸送費通関は節約できるが,買出し・仕分け・梱包に1日を要しました。でも,結局その方が手っ取り早かったようです.
 スーパーマーケットで「ソーセージ」と読める代物を購入して山に持ち込みましたが.開けてみると中は生肉のミンチでした.「イミテーション」とはっきり書いてある粉末ジュースは本当に毒々しいほどの着色料の色でした.食品の表示だけでも日本とずいぶん違うのが多く,戸惑いました.ポリッシュライスとトップラーメン(サッポロ一番?)は沢山購入しました.1ポンドのチーズは重宝しました.「ガソリンスタンド」ではなく「ガススタンド」で、石油は「ケロシン」で・・・・・・。

「7月2日 快晴 アラスカ鉄道でタルキートナへ移動。セスナで2フライトでLP(ランディングポイント/セスナの着陸地点・ナショナルパーク境界ギリギリの氷河上。パーク内は原則・離着陸も荷物の投下(エアドロップ)もできない)入り。氷河本流出会いまで偵察。雪面がまだ固まっておらず、トレースを外すと相当上のクラストを踏み抜き,もぐり,滑りにくい(私達はスキーを使用)。」

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(セスナも,橇をつけてます.モデルは ナベ(今は面影が残っていないのでそのまま掲載) 
 セスナってほんとにシンプルな構造なんですね、私は尻尾の中に乗っていましたが(当然定員オーバー)胴体や羽根はフレームの上に「皮」が張ってあるだけで,私の足の下には尾翼を制御するためのワイヤーと電線が何本か走っているだけ。フレームに布を張って,プロペラのついたエンジンをのせ、無線機をつけ・・・たぶんラジコンの飛行機とほとんど基本構造は変わらないのではないかと思いました。着陸は氷河の上流に向かって着陸し,帰りは下流に向かって飛び立ちます.Mt.ハンターがそびえ立ちます.そこには私たちのパーティーしかいなかったと思います.あとは,雪の上に置かれたMr.ハドソン(ブッシュパイロット・当時はドン・シャルダンというブッシュパイロットの方が有名でした,)の木箱に入ったトランシーバーとワイヤーアンテナだけ。セスナが飛び立ったあとは,壮大な静けさに包まれます.
 Mt.ハンターの(数千メートル?の)壁を落下する雪崩は雪煙を上げながらスローモーションのように落ちて行きます.山のスケールが違う.
 最初のうちはクレバスが怖いので,用を足すのにもザイルをつないで『猿回し』状態でした.ザイルにつながれたままテントから20mくらい離れて,トントントンと何回かジャンプすると膝くらいの深さの穴ができます.そこにしゃがんで用を足すわけです( 現在は所定の分解性(?)袋の中に用を足して回収、クレバスに投棄するようです.参考資料参照)。しばらくするとクレバスのできる場所とそうでない場所がある程度分かるようになりましたので,やがて四六時中アンザイレン(ザイルで互いをつなぎあう)ということはなくなりました.

(画像はクリックすると拡大されます,地図の上の方が北です.)

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「7月3日 晴 3パーティーごとにアンザイレンし、一人平均10kgの荷上げをする(荷上げといっても最初は氷河の本流まで下りですが).本流出会いまでは(スキーの)シールを外していても別段問題ない傾斜である(重い荷物の時は、シールが下りの時のスピードの出過ぎを抑える.).・・・EFKG(East Fork Kahiltna Glacier(カヒルトナ氷河東俣?))の合流点の少し下が傾斜が少々強くなり中央部に縦クレバスが無数に走っている.右側から回りこみ、7350Feet地点にデポする。」

【サンクラスト】 日中は氷河の雪の表面が解け、夜間凍るので強力なサンクラスト(積雪の表面が凍った状態)ができます.私たちは、氷河上での荷上げにはスキーを使用しましたが,行動中にクラストが解けてゆるんでくると体重を移動してからクラストが割れ、とても歩きにくくなります(他のパーティーがほとんどいないので,ほぼ毎日自分たちでルートを見つけ、トレースをつけなければなりません.たぶん今では考えられない状況です)。そこで我がH隊長は考えました。「完全にクラストしている夜中か、完全にクラストの解けた日中に行動すればよい。」ということで,まず,夜中に起きてしっかりクラストした夜間に5〜6時間行動し,日の出とともに行動を止め、朝食を食べて寝てしまいます.(何しろ「白夜」の国ですから,この頃は夜中でもヘッドライトなしで十分行動できます.)次に、陽が上りクラストが完全に解けてから、また日中5〜6時間行動します,そして夕方のクラストが始まる前に行動を止め、夕食を食べて、また完全にクラストする夜中まで寝ます。そんなわけで,カヒルトナ氷河上では1日に2回寝て2回行動してました.

「7月4日 晴 LP(ランディングポイント)を00:00に出発する。今回の荷上量は30kg近くあるが、一気に昨日デポ(荷上げ集積)した地点に上げる.この地点はヒドンクレバス(割れ目の上に雪が積もり割れ目が隠れたクレバス)が無数にあることが分かる.氷河の流れはかなり速い事がわかる。天候はMt.クロッソンに雲がかかっており、悪天の予想がつく。」

【クレバス】結局クレバスは,その下の地形に影響されるもののようで、ほとんど地図どおりの場所に地図(注1)どおりの方向に割れていました.氷河の下の傾斜が急になる場所では,割れ目が開き、傾斜が緩くなる場所ではまた閉じる、というようなことを繰り替えしているようで、一度開いた割れ目が開いたそのまま下に流れていくのではないようです.またヒドンクレバス(割れ目の上部が新雪で隠れたクレバス)も、よく観察するとわずかに窪地になっていてある程度分かります.私たちはスキーを使用していましたので,幅50cmくらいまではあまり気にせずに渡れました(もちろん直角に横切った場合でありまして,隠れたクレバスの向きの判断を誤ると・・・・・・大変な事になります).また、クレバスがあると思われる地帯では常にアンザイレン(ザイルで繋がって)行動しました.実際,相方が転落した場合どの程度止められるのか保証はありませんが,「引っかかる可能性」は少しは増したと思います.一応、止める練習や、クレバスに落ちたとき這い上がる練習はしておきました。(ユマール(ザイルにつける登行機)なんか買えませんので,プルージック用の細引きをいつもポケットに入れてました)

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(氷河上のどこか)

「7月5日 雪 LPを撤収してRC(リレーキャンプ・中継キャンプ)2345m地点までキャンプを上げる.天候は徐々に崩れてきて雲が厚く覆っている.カヒルトナ氷河出会いにいくとクレバスの状態が一変しているので、H隊長、M副隊長が先行して様子を見ながら皆を通す.」

【水作り】
今回の山行は最初から最後まで雪の上ですから、水はすべて雪を溶かして作ります.その分の燃料も馬鹿になりません.そこで,私たちはOBから教えてもらったとおり、アンカレッジで黒いビニール袋(ゴミ袋くらいの大きさ,たぶんゴミ袋・・)を購入して持ち込みました.天気のよい日の日中、黒いビニール袋に雪を入れ、テントの横に転がしておくのです.夕方になるとかなりの量の『水雪』ができています.晴れた日の氷河上の日差しはかなりのものです.カヒルトナ氷河上ではこの方法でかなり燃料が節約できたと思っています.とにかくたくさんの水を必要としますので・・・・,うっかり夕方回収しそこねると、夕暮れとともにただの氷になってしまいます.

【水分の補給】空気が乾燥しているので,大変喉が乾きます.寒くて白い息がハーハー出ているときは、たぶんヤカンが沸騰している時と同じくらいの水分が肺からどんどん奪われているものと思われます(全く私の個人的な認識ですが).目出帽や眉毛には氷が出来ます.汗をかく量は少なかったでしょうし,たぶん乾くのも早かったと思いますが,水分は口から(肺から)どんどん奪われます,肺の温度も下がり、乾燥し、水分の減った血液はどろどろになり・・・肺や心臓の負担がどんどん増します.休んでいる時にもどんどん水分が奪われるわけですから,夏の暑いときに負けず劣らず、寒い時にも水分が必要になるようです.喉の渇きを自覚しなくても,意識的に水分補給する必要があるようです.(ちなみに、冬の八ヶ岳で、2人でツエルトにくるまって一晩過ごしたとき,夜中にツエルトの内側についた霜をスプーンでコッフェルにかき集めていたら、朝までにコッフェルが霜でいっぱいになりました.安静時でもそんな調子ですから,ゼーゼー、ハーハー行動中はもっともっと沢山の水分が口(肺)から奪われているのだと思います.)。

「7月6日 雪 RC設営。H隊長・ナベでBC(ベースキャンプ。カヒルトナパス・2990m)までキャンプを上げる.残り4人でトリプルボッカ(三往復の荷揚げ)でRCを設営する.BC荷上げ隊は、昨日から降り続いている雪の為、BC予定地確認できず、荷をデポ(荷物だけを置いて)して戻る。」

「7月7日 雪 停滞」
停滞の日は,ポップコーンやホットケーキ・水羊羹を作ったりして暇つぶしをしました.

(つづく)

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※参考資料 デナリ国立公園ホームページ 日本語の登山ガイドもPDFでアップされています.とても具体的で親切な案内書です.興味のある方は読んでみるだけでも楽しいと思います.
 また、年毎のサマリーを見ると,その年のルート別の入山者数や登頂率、事故や気象状況などを知ることができます.
 ちなみに、近年の入山者数は年間1200〜1300人くらいで、登頂率は50〜60%くらいのようです。

注、1 単位はfeetですが,5万分の一地形図は現在日本国内でも入手できるようです。(例えば マップハウス など)。水平距離の感覚は、日本で使っていた国土地理院の5万分の一地形図と同じですから、感覚が掴みやすかったです.

注、2 以上,私のうんと昔の個人的な体験・感想ですので,あまり現在の登山のための参考にはならないと思います.また、記憶違いや脳内改変(?)された部分もあるかもしれませんので、その旨ご承知ください.
  登山は,あくまでも各人の責任の下に行ってください.この一文を参考にして何かトラブルが起こっても当方は一切責任を負いません.念のため.

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月明り・星明り

2008年8月4日 (月) 

月明り、星明り(昔話)

 満月の夜、月を見上げると、何となくわくわくします. 満月の夜はとても明るくて、懐中電灯なんて無くても(周囲に人工的な明かりが無く、道の状況によっては)夜道を歩けます.特に,満月の雪道は快適です。3月の雪の締まった時期の月夜の道はそれだけでも何だか不思議とウキウキします.(私だけかもしれませんが・・・)

 月明り
 私が学生の頃のお話ですが,立山での夏合宿中にちょっとした事故があり、真夜中に立山から内蔵助平に下ったことがあります. その日はほぼ満月で,内蔵助山荘から内蔵助のカールの底に下ったところでヘッドライトの明かりを消しました.目が慣れてくるとカールの底の岩はもちろん富士の折立ての岩場の詳細まで見える程明るい夜でした.後立山の山々もかなりはっきり見えます.ライトを消したまま夏道を下りました、あまり不安は感じませんでした.樹林帯に入るとだいぶ影になりましたが,通い慣れた(10回くらいは通っている)路なのでそのままライト無しで下ることができました.一人、月明かりの下で眺める山々は、昼間眺める賑やかな(?)山とは違った荘厳さがありました.
(後日、日中、近くの雪渓の上を真っ黒なくまさんが「トットコトットコ」横断していくのを目撃しました.くまは本来夜行性だそうですので,やはり夜中は山の中をうろつかない方がよろしいようです.)

 星明り
 ある年のお盆、SAと奥只見の袖沢に釣りに入りました.釣りといっても毛鉤に糸、米と味噌に酒、飯盒位しか持たないといういい加減なものでした.林道を歩いていると名物の「虻」がまとわりついてきます.振りきろうとして走ると、かえって増えます.動くものに反応するのでしょうか?手をぶんぶんと振り回すと1から2匹くらいは虻が捕まります.生き餌として採集します.・・・一応釣りの真似事はしたのですが,いい加減な仕掛けで適当に川遊びをしているだけなので,結局ちいさなのが数匹釣れた程度でした.夜になって酒を飲み出すと今度はブヨ(?)が沢山寄ってきます.テントではなく、集水口の上屋の軒下をお借りしているような状況で囲いはなく、虫に刺され放題です.
 2日目の夜だったでしょうか、眠りに入っても,結局顔中刺されて、二人共夜中に目覚めてしまい,相談しました.「朝までここにいてもしかたがないから,夜道を歩いて帰ろう」。夜中に荷物をまとめ,夜の林道をとぼとぼ歩き始めました.まさに満天の星空でした. 歩きながら時々空を見上げると「スゥー」と星が流れます.お盆の頃でしたからペルセウス座の流星群だったのでしょうか沢山見ることが出来ました.途中からヘッドライトを消してみました.まさに「砂子をまき散らかしたように」沢山・沢山の星が見えて,星の見えない真っ暗な部分が山並です.稜線の向こうに街明かりが見えない(稜線付近が明るくなっていない)のがいかにも「山の中」という感じです.「天の川」は驚くほどはっきり見えます。林道は砂利道ですがかなり平らで,輪郭は星明りでも分かります.結局星明りを頼りに10Kmの道のりをダムの駐車場まで帰り着くことが出来ました.人工の明かりがない状況で,目が闇に慣れると星明りでもある程度見えるものでした。

(* 以上,私の思い出話です.夜間の無灯火での行動をおすすめするものでは決してありません。人工的な明かりを排除する事によってより神秘的な景色が見られるかもしれないというお話です。山中におけるすべての行動は,各自の判断と責任の下に行ってください.)
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 津南町 貝坂地内にて

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高天原新道

2008年6月28日(土) 
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 梅雨に入ったら、野菜も目的外植物も
 元気良く育つ。
 「水」というものは,すごい。

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2008年6月29日 (日) 
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 雨
 今年はスイレン咲くだろうか?
 毎年の楽しみです.

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P1010003  最近,志水哲也氏の本「黒部物語」や「黒部へ」を読みました.志水氏といい,服部文祥氏といい、すごい人がいるもんです. 山の中を自由に歩き回り,山の中で自由に眠る。

1,「高天原新道」について
 現在「高天原新道」は全く「道」の体をなしていないと思います.
 高天原新道は、黒部川の源流域の東沢出合いから黒部川の右岸を高捲き、赤牛岳の西側中腹を捲いて高天原温泉に至る登山道で、昭和39年(1964年)に(中のタル沢左岸,または右岸をたどるコース)開削されましたがすぐに荒廃し、その後昭和59年に(口元のタル沢左岸コース)再開されましたがまたすぐに荒廃してしまったようで,現在は全く道の体をなしていないと思います. 崩壊の激しい沢を何ヶ所もトラバースするため、毎年道が崩壊し,とても維持できなかったものと思われます. 実際、 ガイドブックごと(時間とともに)にルートが違います。私たちがトレースした時も,崩壊地の通過がとても危険で,しかも多くの時間を要しました.(ストンと落ちるわけではないのですが、蟻地獄のように足場がズルズルと崩れ始めると結局「ストンと落ちる」ところまで落ちて行ってしまいますし,確保するにもハーケンは使えないし、ブッシュもない。「確保できない」という点では岩場より危険ともいえます。)
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2、山行
 1973年8月 ISOさんと私の2名
前日、雷鳥沢キャンプ場から立山を越え,一ノ越からタンボ平を経て黒四ダムに至り,ダム沿いの長いウネウネ道をたどって平の渡しを渡り,東沢出合に至る.黒部ダム湖沿いの道は何度か通りましたが,とにかく「ジッと忍耐の道」です.一度、増水で源流には入れず,引き返す時なんぞは一際長く憂鬱に感じられました.
 1日目 奥黒部ヒュッテより少し下流で尾根に取り付く.前日入り口の下見をしており,読売新道から入った方が合理的ではありますが、できるだけその時の資料に忠実にたどりたかったのです。しばらく行ったところでISOさんが小さな声で「かもしかだ」と教えてくれましたが,こちらは背中に大きなキスリングを背負い、両手で薮にしがみつき,崖にぶら下がっている状態。カモシカなど見てる余裕はありませんでした.そんなわけで生まれて初めてのカモシカは見逃してしまいました.最初の大きく崩壊した沢は蟻地獄状態で横切るのはとても危険で時間のかかる作業でした.ザックを置いてルートを探しに行ったISOさんがなかなか返ってこないで不安になったりもしました.何とか対岸に取り付いても,トレースの続きを探すのがまた一苦労です.
 樹林帯に入ると今度は幅広のキスリングが邪魔になります(縦長ザックでも薮漕ぎには邪魔になりますが)たった二人なのに当時の4人用テントをしっかり担いでいました.口元のタル沢に降り立つ頃にはかなりの時間が経過していました(たぶん.東沢出合いから半日くらい)対岸の尾根への上り口を探し、尾根を越えて黒部川の河原に生まれて初めての空中懸垂下降で降り着いたのは,太陽が薬師岳の向こうに隠れる直前くらいでした。とにかく谷底の日の出はものすごく遅く,日没はものすごく早いのです.この辺までくると本当に「山の中に来た」という感じがします.わずかに残っていた「いざとなったら逃げ出そう」という気持ちもすっかり失せてしまいました.
 何しろ2週間の定着合宿の後の後半山行です.(野菜不足になる)と考えた私はトマトジュースをザックの底にずっとしまって持って来ていました.ここで飲まずにどこで飲む.一人こっそり岩陰で飲んでいると,ISOさんが通りかかりました.その時のきまりの悪かったことといったらありません.「思い出すだけでも恥ずかしい思い出」は沢山ありますが,これもその一つです.
 2日目 朝から黒五ダム(1965年の豪雨で廊下沢から押し出された土砂で黒部川が堰き止められてできた自然湖。この山行の2年後に上の廊下を遡行した時には、ずいぶん小さくなっていました。)で水泳の時間、薬師岳側の山際を泳いで通過する。胸ポケットに入れていたタバコがビニールパックにも関わらず少し濡れてしまう.一ノ越の小屋番のお兄さんにわけてもらった貴重な最後の一箱(チェリー20本入り)です.
 中のタル沢出合い辺りでようやくお日様が顔を出す。冷えた体を温めるべくしばらく日向ぼっこの時間を貰い、タバコも一緒に日向ぼっこをする. 中のタル沢左岸の台地に上がり,手分けして踏み跡を探すが見つからない.そのまま尾根通しに直上し傾斜の落ちた標高1980メートル付近(当時の「薬師見平」注1)の笹原に達する.
1yakushimitaira 対岸薬師岳の視界が開ける。ここから赤牛岳のトラバースを開始する.踏み跡を見つけるとしばらくは快適に進めるのですが,見失うと結構薮漕ぎがひどかったりして時間がかかります.大体、獣にしろ人間にしろ,歩き易い所を探して通りますので,「獣道」も「踏み跡」も同じような所を通ることになりますから、間違え易いです。姿見平は傾斜した明るい草地で真正面の薬師岳が素晴らしいところです.赤牛沢の次の沢(湯ノ沢)は崩壊が激しく、沢への下降も対岸への上りも足場が悪く、かなり危険な所だったと思います。

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 この日はお天気が良く、夕立を心配したのですが、夕立に会うこともなく辿り着いた竜晶ケ池は山の中のそのまた山の中の静かな池でした.高天原温泉には古びた小屋があり,真っ白な湯花(?)が沢山浮いていたように思います.この小屋には白蛇が住み着いているというようなことをどこかで聞きましたが、出会うことはありませんでした.(入浴中に蛇が出てきたらどうしよう・・・誰かに見られる心配はありませんが,小心者の私は少しドキドキでした。)
 3・4日目 翌日、雲の平経由で黒岳に登り,烏帽子小屋で一泊し4日目にブナ立て尾根を降りました.当時はまだ高瀬川ダムの工事中で、長い長いトンネルを歩いて通りましたが、なぜか荷物だけはトラックで運んでくれました.

 注1 現在の国土地理院地形図の「薬師見平」より一段低い西側の傾斜台地

参考 「高天原新道」については RYO さんのHP「町内の山」の研究コーナーに興味深い記事が沢山掲載されています.

 以上の記事は、ずっと昔の私の体験であって、全く現在の参考にはなりません.
万一,この記事を参考にして何かトラブルが発生しても,当方は一切責任を負いません.

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 平泳ぎ?

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はしけやし

2008年4月26日(土)  時々 融雪雪崩注意報
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  あの花も,この花も
  次から次へと花が開いてゆきます.
  津南町は、まさに 春真っ盛りです。

  ふきのとうも、これくらいになると
  湧水を飲むときのストローとして使いました.

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  雨飾山 (昔話)

 「左の耳はぼくの耳
   右は,はしけやし君の耳」
 深田久弥氏のロマンチックな言葉に誘われて
雨飾山を目指すことになりました.

1、登山した日  1980年ころの5月の連休
2、形態    単独行
3、行動概要  1日目 池ノ平から妙高山を越えて黒沢池
        2日目 黒沢池から焼山・金山を越えて白倉峰まで
        3日目 雨飾山登頂後小谷温泉下山

4、行動
1amakazari3  ○1日目 8:30 池ノ平(740m)発
      9;00 スキー場中間(930m)
         さすがにゲレンデの雪は無くなっていました。
         カッコウの声が響き渡っていました。

2amakazri7   11:25 大谷ヒュッテ(1830m)
      赤倉山の東斜面をトラバースする辺りは
      結構急な固い雪の斜面のトラバースで少し緊張しました.
      頂上直下は尾根通しに直上しましたが、かなり高度感のある
      急斜面でした.

   六根清浄 お山は晴天





3amakazri5  13:35 妙高山頂上(2440m) 
     お天気は良かったので,眺めは良かったです.
     頂上からは一気にグリセードで降りましたが、 
            外輪山の登りなおしが意外ときつかったです.
 黒沢池のちょっと先でツエルトを張り、早々に潜り込んだのですが,
夜中に激しい風雨となり,結局ずぶ濡れになりながらツエルトを張り直す
はめになりました. 「どんなに疲れていても、設営はきちんとしてから休むべし」改めて実感させられました.

4amakazari2  ○2日目 7:00 キャンプサイト発
         この日も夕方まではお天気がよく快適でした.
    9:00 火打山(2462m)
    11:45 焼山(2400m)  焼山への登りも、傾斜のあるのっぺりした斜面で高度感のあるなかなか気分の良い登りでした。

  六根清浄 お山は晴天

           13:55 金山 (2230m) 写真は金山付近から振り返って見た火打山(中央奥)と焼山(左端)

5amakazari1  金山付近から見た雨飾山
 小さいけれど,キュッとまとまった
 何とも言えぬ上品な感じの山です.
 私のアルバムの中では特にお気に入りの一枚です.

(↑写真クリック!!)

        15:00 白倉峰(1585m) (当時の地形図には地名の記載はありませんでした)
6amakazri6  ○3日目 5:00 白倉峰発
         下山は白倉峰から南に伸びる尾根を下ることとし、若干の装備だけ持って出発. 雨飾への登りはちょうど中ノ岳方面からの八海山への登りに似ていました.

 六根清浄 お山は晴天

     6:30 雨飾山頂上 もちろん(当時は)だァーれもいない。






7amakazari4  山頂からの海谷山塊方面(?)

 7:25 一旦、キャンプサイトに戻った後、南に伸びる尾根を下り
 (底雪崩でペシャンコになりたくないから)下部で西側の尾根に移り、無事(?)谷底に降りて後は小谷温泉に向かう. 下るほどに,どんどん春が近づいてくる. この時期の春山は、下る時まるで「春に向かって降りて行く」ような感じがして何となく楽しくなります.

 この時の山行も、黒沢池の小屋に誰かいたようですが.結局、山中では3日間誰にも会いませんでした.運がよければ一人で山を独占した(錯覚)感じを楽しめた時代でした.

注、以上の記録はずっと昔のお話ですので,現在の参考にはなりません.
  万一、参考にして何かトラブルが発生しても当方は一切責任を負いません.

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22kuahousu  (津南のクアハウス付近から信濃川対岸のブナ林(新緑)を見る)

 先々週から、土曜日の3時ころクアハウスに行って30分ほど自転車漕ぎをしています. 最初に行ったとき体重計のようなものに載せられ、いろいろ測定され、体脂肪率が幾つとか言われて「体の年齢が実年齢より25歳も若い。すごーーい」とお姉さんに言われたのですが,このテの機械は、たぶん測る度に違う結果が出る「いい加減な奴(機械)」に違いありません。別に喜ぶほどのことでもありません。
      ・・・・
 今日,行ったついでにもう一度測ってもらいました.
体の年齢、実年齢マイナス25歳、体脂肪率16.6%、筋肉ちょっと多め,骨量ちょっと多め、(ついでに内臓脂肪もチョット多め?)
ウーーン ひょっとしたら,案外「良い奴」かもしれない.

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平ケ岳・ワカゴイ沢

平ケ岳・第4弾
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平ケ岳・ワカゴイ沢
山行日  1984年9月23・24日
メンバー L.YANAさん、私

 【行動概要】
(前夜、鷹巣泊)
23日 砂子平より入渓、ワカゴイ沢遡行姫ノ池泊
24日 中ノ岐林道下山

【行動】
9月23日 台倉尾根パーティーに砂子平まで送ってもらう。
    5:40 出発。只見川は渡渉して渡った。めいめい勝手にルートをとる。
  80mゴルジュの出口はチョットいやらしい。誰も見ていないので(?)残置ハーケンのお世話になる。
  少しためらったのは、18m滝(昔の15m2条?)最後がいやらしい。近年遡行された方の写真を見てその時の様子をありありと思い出す。上部は結構高度感のある場所で、ほんの数歩だが微妙なフリクションのところがある。
  12:00 赤芝沢出合 赤芝沢を分けた辺りに雪渓が残っていた。間をあけて、足早にくぐり抜ける、抜けたところで休憩した。
  上部に幅の狭いゴルジュがあり、私は一部両岸に突っ張って通過した。この辺もそれぞれ勝手にルートをとる.
   源頭部の両岸にはイチゴが沢山なっていたので、ヘルメットいっぱいに摘んで、台倉パーティーへのお土産とする。
  16:00 頂上 頂上では台倉尾根パーティーの3人が待っていてくれた。
  姫ノ池にてツエルト設営(?)イチゴでジャムを作って食べる。食べだしてしばらくで、私の歯に激痛が走った。イチゴの種が虫歯の穴に思い切りギュッと押し込まれたのである。以後、イチゴの種には注意している。
  さすがに9月ともなるとビバーク装備では寒かった。翌朝、ぬれた地下足袋を履く時は、少し躊躇した。
9月24日 TOKUさんとYANAさんは台倉尾根を下り、車回収。 私を含むあとの3人は玉子石経由、中ノ岐林道下山。長い長い中ノ岐林道を歩き終え、ちょうど雨池橋についた頃、台倉尾根パーティーの迎えの自動車がやってきた。

 教訓 《イチゴの種には気をつけろ!》

 この後、2度ほど中ノ岐林道を使って平ケ岳を訪れましたが、この林道を自動車で入ってしまうと、平ケ岳の楽しさは半減してしまいます.現在の地形図には登山道が記載されていないので、廃道になったのでしょうか?好ましいことです.せめて林道は歩きましょう.一歩、一歩、平ケ岳の味わいが深まります.沢・尾根含めて7通りのルートをトレースしましたが、まだまだ私の通っていない沢や尾根が沢山ある.私の大好きな懐の深い山です.このまま「便利にならないで」ほしいものです.
 ※先日,YANAさんに当時の写真がないか聞いたところ、「軽量化(スピードアップ)のため、カメラは持っていかなかった」とのことでした.
登ってしまえば、山を下りながら次の山のことを考えているような時でしたから、記録を残すことにはあまり興味がなかったようです.実際「印象的なとこは脳裏に焼き付いているから・・・・」などといってましたので、「元気なころ」の写真や記録というのは極めて少ないです.当時使っていた5万分の1地形図へのルートの書き込みや、地図の欄外にメモしたコースタイムが主な記録です.

注1、最近の国土地理院の地形図では「カワゴイ沢」と表記されているようですが、明らかな間違いだと思います。
   (ちなみに水長沢支流の「大丈沢」も「大上沢」と表記されていました.)
注2、きわめて簡単な記録ですが、1984年当時のものですので、現在では全く参考になりません。万が一、当記録を参考にして何かトラブルが発生しても当方は一切責任を負いません。

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