記事「中越地震1(その日)」の続き
中越地震(翌日以後10月24日・25日〜)
(10月24日)
朝,台所の割れたガラスを片付け,割れた窓にブルーシートを打ち付け,とりあえず塞ぐ.一応業者さんに修理依頼をしておく.
家の周囲,仕事場の周囲、内外の損傷状況を確認する.建物については台所のガラス1枚破損と仕事場建物の基礎部分のタイルがはがれていたくらいで、目視の範囲では大きな被害なし.建物内部については食器棚の食器や本棚の本等が落下している程度で机の上のデスクトップパソコンやテレビは被害なし.
午前中家の中の片付けをし、午後からYANAさんに付き合ってもらい私の自動車回収に向かう.道路の改修作業が始まると道路脇に止めた私の車が邪魔になったり,回収困難になったりする可能性があるからです. 前夜通ってきた道(信濃川西岸)を行ってみたのですが,小千谷市の真人(マット)から先は通行止め。戻って旭橋に向かうもこれも通行止め。結局妻有大橋まで戻り、ようやく国道117号線(信濃川東岸)に入る.小千谷に向かって進むも「魚沼橋」でやはり通行止め。北側の橋詰で道路が半分位崩壊している.放送局の車と地元の消防団の間で「通せ」「通せない」で押し問答している.メディアが早く,多くのことを伝えてくれたことの効果は非常に大きかったと思いますが,「通せ」「通さない」の押し問答ではメディアはかなり強引だったように感じました.
(魚沼橋から見た川口町方面への道。今年になってようやく復旧しました。)
魚沼橋の南橋詰付近の道路脇にYANAさんの車を置き、歩いて橋を渡り,昨日私の自動車を乗り捨てた場所に向かう.池ケ原まで来たとき,「ドスン」と下から突き上げるような大きな余震がありました.集落の人たちは前日のビニールハウスに避難していましたが,ビニールハウスの隣に重機で溝を掘っていました.トイレです.非常に団結力が有り,どんどん状況に応じた対応をしている所はすごいと思いました.集落を過ぎ,坂を下ると私の車が見えてきます.
(こんなのは序の口)
(はるか遠くに,私の車が見えます)
田んぼの中のあぜ道を遠回りして何とか私の自動車は回収することができました.(魚沼橋は帰りには片側だけ通してくれました.)
(10月25日〜)
十日町の社会福祉協議会のNさんに電話してみたらボランティアセンターを立ち上げるというので、午後からお手伝いにいく.「片付けのお手伝いをします」というビラを配ったりしましたが,まだ避難勧告が出ている状況なので,被災者はそれどころでは無かったようです.ボランティアセンターの受け入れ態勢を作るのが先決のようでした.
十日町・川西地区は上下水道が破壊された所があるので,水汲み用のポリタンクを知り合いのために用意しようと思ったのですが,ほとんど売り切れでした.蓋付きのバケツや濡れティッシュ、乾電池、ホッカイロ(携帯カイロ)、子供用のお菓子などを用意し,何件かの知り合いに配達しました.
(おにぎり)
何日か十日町のボランティアセンターに通い、ボランティアの人たちの送迎や炊き出しおにぎりの配達をお手伝いをしました,全国から沢山の人たちがお手伝いに来てくださる.ありがたいことです.炊き出しのおにぎりの箱(ダンボール箱)を見ると「木島平村」「野沢温泉」・・・・それはもう感動ものでした。私が頂くものではありませんが,思わず(今度(木島や野沢で)何かあった時には必ず恩返しするぞ!!)と,一人熱くなっておりました.遠く関西の方から沢山の方がお手伝いに来てくださったのも同じような想いだったと思います.
(10月29日)
確かこの日から仕事を再開しました.とりあえず長岡まで行かなければならないのですが小千谷市も川口町も通れません.まず十日町に出、一旦旧松代町に向かい,そこから岡野町に向かい、それから柏崎市に出、そこから長岡に向かいました.山の中ばかりで、所々片側交互通行が有り,崖の下で一時停止させられたときは(ここで余震が来たら谷に押し落とされて助からないだろうな・・・)ヒヤヒヤすることしきりでした.
《その他気づいたこと等》
(話を聞く)
地震から1週間ほど経った頃から、被災地の知人に毎晩電話をかけました.この頃になるとかなりの人が自宅に帰っていたからです.1日に1人から2人程度「どうだった?」様子を聞きました.皆共通しています.話し出したらほぼ一方的に話つづけます.短い人でも20分から30分。一番長い人は3時間半ほとんどしゃべり続けました.まるで溜まっているものを吐き出すように・・・・・。そうです、ストレスの溜まっている人は吐き出すように一方的に(失礼)喋りつづけることがありますけど,それと同じです.ずいぶん皆さんいろんな体験をしたようです.でも、多くの人がしゃべり終わったあと,「聞いてもらったら,何だか落ち着いた」「聞いてもらったらすっきりした・楽になった」・・・と言ってくれました.私はほとんど聞いているだけでしたが,それでよかったと思います.(話を聞くだけでも役に立つことがあるんだ・・・)と改めて思いました.
(便りの無いのは悪い知らせ?)
同級生のMは、小千谷付近の高速道路を走行中に地震に合い、路肩に寄せようとしたところ、路肩と走行車線の間に割れ目が出来、しばらく割れ目を跨いで走行したそうです.ようやく高速道路を降りたのですが十日町方面に向かう道路が通れません.そこで被害情報の無い川口町に向かいました.(実は川口町の震度が一番強く地震情報送信システムが壊れていた)周辺に強い地震情報があるのに情報の無い地域が有ったらそこが一番被害の大きい所だと思った方がよいようです.彼は結局川口町までたどり着いたものの進退窮まり、車の中で泊まることになりました.翌日歩いて帰宅です.
(×印)
地震のその日、小千谷市内通渦中に障子戸の各格子の中が全部×印に破れたのを何軒か見かけました.その時は(小さな子供がいるのだろう)と思いましたが,翌日も何箇所かで見かけました.そしてようやく気づきました.障子戸(枠)が大きく歪んだため、すべての升目が均等に×印に破れたのです.ちなみにシャッターの下の方はガイドから外れて外側に飛び出しているのが多かったです.
(盛り土)
橋は、私の見た範囲では壊れたものはありませんでしたが、橋詰の部分の土が圧縮され、段差になって通行できない所があちこちにありました.また道路の盛り土した部分はかなり陥没・崩壊しておりました.人工的にどんなに圧迫して押し固めても、土止めしても、自然に堆積した地盤にはまったくかなわないようです.
(屋根)
瓦屋根の家の被害が大きかったように思います.単に瓦が落下しただけではなく頭が重いため「ダルマ落し」状態になり,小屋組の部分がずれてしまい(4隅の通し柱が折れて)「全壊」になった家もありました.昔から「地震が来た時のことも考えて、屋根の雪下ろしは早めにやっておけ」と言われていたのですが,ほんとにその通りです.屋根に雪が乗っている(トップヘビー)状態の時に地震が来たらひとたまりもありません.あの地震が1月・2月に起こっていたら,人的被害も建物被害も1000倍・1万倍になっていたことと思います.建物倒壊だけではなく、火災発生・消火不能・避難時の寒さ等による二次災害・・・・・・・。その後,以前よりはこまめに屋根の雪下ろしをするようになったのはもちろんです.(*雪の重さについては、カテゴリー「雪国」の中で比重の計測をしてます。興味のある方はそちらをご覧ください。)
(トイレ)
近頃のトイレはほとんど水洗式です.したがって上水道と下水道の両方が機能していないと使えません.ところが地震の時この二つが真っ先にやられます.そして復旧に非常に時間が掛かります.地震の時のことだけを考えると「汲み取り式」の方が強いようです.地震の時の避難場所には「汲み取り式トイレ」を用意すべきだと思いました.食べ物や水は1日2日我慢できますが,トイレはそんなに我慢できません.(実際は、地震後かなり早い時期に各地に簡易トイレが配置されていましたが,道路が遮断された場合容易に搬入できない地区も発生します)現在、我が家では便座に取り付けるビニール袋(脱臭剤入り)を用意しています.(建物が残っていなければ使えませんが・・・)
(電話)
携帯電話の電池はすぐ切れてしまいます.自動車の中にグリップ式の発電機(充電器)があって幸いでした.現在は同じものを自動車の中や自宅や非常用ザック中に入れてあります.なお,固定電話は、大きな地震の直後は、皆、戸外または避難所に避難していますので,すぐにはでれない可能性が高いと思います.呼び出し音がなっている事によって電話回線が残っていることくらいは確認できるかもしれませんが,その辺は電話会社に聞いてみてください.171番を利用しましょう。
(非常灯)
その後我が家では,「停電になると点灯するライト」を何ヶ所かに配置してあります.暗闇の中ではパニックになり易いと思うからです.
(電気)
電気が来ないと、携帯電話の充電もできませんし、電話機も使えなくなってしまうものがあります.もちろん、IHヒーターも使えません.
(プロパンガス)
地震当時,我が家はプロパンガスを使用していました.
都市ガスの場合,復旧に時間がかかりますが,プロパンの場合,
すぐにでも回復できます.又,ボンベとコンロさえあれば
避難場所へ持ち出すこともできます.
トイレも電気もガスも、配管(配線)の少ないもの(独立系)の方が被害が少なく、復旧も早いようです.
(PTSD?)
1、ふと、お尻の下が揺れたような気がして、周囲を見回す.気のせいのようです・・・.地震後そんなことがしばしばありました。
2、地震でこわれた建物や地震の痕跡、他の地域の地震や津波のニュースを見聞きすると、胸がいっぱいになって涙ぐみそうになる(情緒不安定?).
他の人に聞いても人によっては同じような症状があるそうです.1年くらいこの症状は続きました.今でも地震のニュースを耳にすると胸が「ぐっ」となります。
(以上,私が個人的に体験した範囲内での,個人的な感想に過ぎません。念のため)
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2008年10月17日の川口町にて
私からも あ・り・が・と・う!!!!! )
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