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よっこら介護どっこいしょ

2014年4月11日作成     積雪 26cm(津南町役場前)

 我家の庭に蕗に続いてなにやら芽が出てまいりました。
A1suzurann  
         この辺は、   たぶん、鈴蘭だと思います。
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(以下、私の介護メモの一部に手を加えたもので、一度同級生宛の新聞に投稿したものです。今回、当該カテゴリーにUPしておきます。
表現がまちまちですが、ご容赦願います。)                   

『  平成20年の11月に父(当時87歳)が脳梗塞にかかり,杖や手すりなくしての歩行が困難となりました。右半身の動きが思うようにいかないため,着替えや入浴/就寝時に介助が必要となりました,
 母も、疲れやすく,炊事の時以外は横になっていることが多かったのですが、(平成21年)2月に転倒し一時寝たきり状態になりました。  3月に入り,ようやく自力でトイレにいけるようになった母でしたが,(平成21年)3月22日の夜,トイレの帰りに再び転倒。骨折はしなかったが、左体側を強打。しばらく寝たきりの状態になる.
 我が家は現在(平成21年3月)、老父母と私の3人住まい.私が二人のお世話をすることになる.食事、身の回り・・・・・(母の食事の支度も以前から大分危なくなってきていて、しょっちゅう鍋を焦がす。台所脇の納戸を開けたら、真っ黒焦げの鍋が5~6個も出てきた。さっそくガスを止めIHヒーターにしました。そして今度は食事の支度も私が・・。)
 父は,日に何度か着替えを必要とし、2日に一度入浴介助が必要であるが、何とか自力でトイレに行ってくれる.
母は自力でトイレに行くことも起き上がることもできない.私に用がある時は,両親の部屋にあるチャイムのスイッチを押すと,私の部屋のチャイムがなるようにしてある.
その日にもよるが,昼夜を問わずほぼ2時間おきに「トイレタイム」である。 「ピンポーン」チャイムがなる度に飛び起きて駆けつける.一応オムツはしているが,やはりオムツの中に用を足すのは嫌なものです.私が仕事で出かけている時はオムツで我慢してもらうしかありませんが,それ以外は2時間おきに「トイレタイム」です。
 しばらくすれば自力でトイレにいけるようになると思って様子をみるのですが,なにしろ8X歳の老人です.簡単には回復しません.
 私の方も2時間おきに睡眠が中断されのでは「寝たような…寝てないような・・・」眠らせないという拷問があるそうですが,ほんとに「変に」なりそうです.
いつでも目を閉じれば体の芯から一瞬にして力と意識が抜けて、まるで貧血を起こしたときのようにストンと眠りに入っていけます.毎日自動車を運転するのが怖いし,仕事ははかどらないし・・・。

○「切れる」
台所で忙しく夕ご飯の片付けをしていると、「おい、おい」母が大きな声で呼ぶ.
あわてて寝室に行ってみると,『新聞をとって ,のど飴を持ってきて』それにかぶせて父が『(ベッドに)寝かせてくれ』・・。(ンガァーーーーーーッ!!!!)鮭が産卵するときのように口を縦いっぱいに開いて声を出さずに心の中で,叫ぶ!!  切れた!
「俺の体は1つしかない.一度にいくつも言われてもできない.二人一緒に喋られても一つづつしかできない!!」
思わず声を荒げる.(アーア言っちゃった。)
いつもそうである.忙しく家事をやっているときに呼びつけられ,行ってみると『ペットボトルの蓋が落ちたから拾ってくれ』『テッシュペーパーをとってくれ』とか
ほとんどは別段急を要することではないのである.一瞬の沈黙の後、負けず嫌いの母が小さな声で言った『新聞とってくれ』・・・・と 。

○「反省」
台所仕事を終え、ようやく自分の部屋に帰る.少し凹む。(少しい言い過ぎたかな・・・・・)
そしてすぐに回復する.(お互いあまり貯めずに適当なとこで言いたいこと言っておいたほうが良いんだ。)自分を慰める.でも、ほんとはとっても哀しい!
 その日は、その後呼び出しがかからなかった。辛いのを我慢していたのであろう、申し訳ない。
精神的にも肉体的にも…苦しかったと思う。ごめん!

○「いっぱい、いっぱい」
 3月29日(日) 助けにきてくれた姉に両親をまかせ、溜まった仕事を片付けに仕事場に行く。一人になって、ふと(どうしよう)と考えたら、突然涙がポロポロ溢れてきた.
 自分ではまだまだ大丈夫だと思っていたが,自分が自覚している以上に「きてる」ようだ。たった一週間で情けない.嗚咽するわけでも、慟哭するわけでもないが、小さい子供のように、涙が次から次へとポロポロ・ポロポロと、とめどなく溢れてくる.(どうしたら良いのか?)頭の中は比較的冷静(のつもり)。涙だけが溢れ出る。
 とりあえず流れが止むのを待って善後策を考えることにする.このままではとても続かない.次の手を用意しなければならない.とりあえず介護保険の利用について相談してみることにした.(よし、明日役場に行ってみよう!)

○「ヘルプミー」
3月30日(月) 母を病院に連れて行く日であるが,朝一番に役場に行き、福祉担当のTさんに相談する.状況を聞いてもらうだけなのに涙ぐみそうになる.さすがに必死にこらえる.聞いてもらっただけでも少しは希望が出てきたというか、『絶望的な感覚』から少しは開放された気持ちになる.翌日には調査員の方が来てくれることになった.素早い対応に頼もしさを感じる.役場から帰って,母を病院に連れて行き、担当の医師に「意見書」をお願いする.色々状況を説明し,質問に答えた。帰り際に医師が「出来るだけの協力はいたします。困ったことがあったら遠慮なく相談してください.頑張ってください.」何と心強いお言葉!!またもや涙ぐみそうになる(歳をとるとそういうものらしい)が、グッとこらえる。ぼんやりとはではあるが「可能性が見えてきた(光が見えてきた)」そんな感じである。
 一人で抱え込まないで専門家に相談してみるものである

○泣き言を聞いてもらう
 山仲間に同じように介護生活をしている人がいて、時々話をしに立ち寄りました。同じような体験をしているので、話を聞いてもらうだけでも、(分かってもらえる)ので、大分ストレス解消になりました。

○「がんばれ」と言わないで。
 中越地震の時だったろうか、阪神淡路の時だったろうか、『頑張っている被災者に『頑張ってください』と言ってはいけない』という話を何度か耳にしました.何となく分かるので、中越水害や中越地震のお手伝いに出かけたときもその言葉は使わないようにしていました。そしてこの度、自分が励まされる立場になったのですが,・・・・。
 正直申し上げるなら,自分がいっぱいいっぱいのときに『頑張ってください』と言われて(これ以上どうすりゃいいんだ!!)叫びたい気持ちになったことがあります.少し気持ちに余裕のあるときなら,心配してくれる人がいること,励ましてくれる人がいることで心強い気持ちにもなりました。ほんとにありがたいと思いました.でも『いっぱいいっぱい』の時に言われると、もちろん悪気はないのは分かるし、気持ちはありがたいのだけれども,その瞬間(これ以上どうすりゃ良いんだ!) 叫びたくなります. これは私の感想ですが,ある程度相手の心に余裕がある時でないと『頑張ってください』という言葉は使わない方が無難だと思いました.

◯4月20日 タレントの清水由貴子さん亡くなる。
 自分なんぞとは比べ物にならないくらい頑張ったのでしょう。でも、少しは分かる気がします。
 (まだ頑張れる、まだ大丈夫、もう少し頑張ろう・・・)と思っているうちに、どんどん出口の見えない暗闇に迷い込んでゆく様が、良く分かる気がして、とて悲しかったです。 

◯継続可能な体制 一時的には頑張れても、介護の場合は回復するよりも、どんどん重くなっていくことがほとんどな訳ですから、早めに『継続できる体制』を作らねばなりません。早め早めに次の準備をしていかねばなりません。『出口の見えない迷路』に迷い込まないために・・・・・・。(この頃母は要介護4、父は要支援2だったと思います(その後再認定の申請をしたら父も要介護4になりました))

○母ちゃんは偉い、要サポート
 二人の介護をしていて、ふと思った。(乳飲み子を持った母親、特に仕事のある兼業主婦というのは、ちょうどこんな感じなんだろうな)2時間おきにミルクを飲ませおむつを替え、昼間も世話を焼きながら仕事をして、食事の準備をして・・・・・。一時でも子守を代わってくれる人がいれば休めるけど、そうでないと、育児ノイローゼになるのが分かる気がします。母親というのはすごいもんだと改めて思いました。だから、自分でも何とかやらねば・・・・。そうやって自分を育ててくれた母だから、頑張らねば・・・とも。
 そして、「子育てをしている母親には休日を与える制度が必要である。」などと飛躍したことも考えました。たぶん、子供が幼稚園に入ったとき、母親は24時間の喧騒から開放され、正直『ほっとした』のではないでしょうか?

◯父のストレス、 寝たきりに近い母は、やはり我儘な事を言います。自分の身体が自分の思いどうりに動かせないのだから、苛立ちもあろう。しかたがない。しかし、家に居ても、施設に行っても、毎日24時間一緒にいる父は(お互いにではありますが)ストレスが溜まると思うのです。相互のストレスが溜まって精神衛生上まことによろしくありません。一層面倒になってしまいます。保険の適用上の問題もありますが、ケアマネさんにお願いして、さりげなく週一回父は日帰り、母は泊まりの日を作ってもらいました。

 「駆け引き」
○5月24日夜 母『難儀』
母が度々、「なんぎ、体さすってくれ 」
○5月25日「知り合いを呼んでくれ,お願い(手を合わす)」ご迷惑だろうが、知り合いの方にお願いして話し相手になってもらう。
 カレーは嫌だ、冷やし中華は嫌だ、白いご飯がいい。ゆで卵は嫌いだが茶碗蒸しと温泉卵は食べたがる.干物は嫌いだ、アンパンは嫌だ、まんじゅうが良い。
お団子もダメおまんじゅうが良い。餃子は食べるがシュウマイは残す。うどんは食べるが,ラーメンは嫌だ・・・
おかずが気に入らないとご飯とみそ汁と漬物だけで済ませ,私の愛情たっぷり(?)のおかずには一切箸をつけない.
可愛くない! その点父は気をつかって,少しばかり残りそうなおかずは,残らず食べてくれる.
おかずを残さず食べきるという私の性格は,どうも父譲りらしい。
 母、少し熱があるので鎮痛剤(解熱剤)を飲ませる.

○5月26日朝  (母は)ぐっすり寝ている.目覚めて排便  スッキリ  ただの便秘だった!
デイサービス予定どおり出掛けてもらう。

○5月27日 母が『わがままを言って申し訳ないが,今度のショートステイは日帰りに変更してくれ』という.やけに下手に出てくる.次の金曜日は、母一人がショートステイ(一泊)で、父はデイサービス(日帰り)の予定であった.
 母の言うことには,前回一晩中『家に帰りたい』と泣きつづけていた人がいて,一人の泊まりは心細いとのことである. 父は当時、要支援2なので、その他の保険の利用を考慮すると月に2回くらいしかショートステイが利用できない.
 せめて母だけでも毎週金曜日ショートステイに出かけてくれると、仕事がはかどったり,ゆっくり休めたりするので、できるだけ我慢して ショートステイを利用して欲しいのが本音である.
(お願いだから,我慢して泊まってください.仕事がはかどらない)心の中で手を合わせる.
母は・・・ベッドの上で手を合わせ『頼むすけ(お願いだから)』・・・。
この駆け引き、母の勝ちである.言葉にし、先に手を合わせた方が勝ちである.あっぱれ母上。 とりあえず今回だけということで、デイサービスに変更してもらう.(次は負けませんぞ!)

○5月29日
「おい!おい!」母が呼ぶので、夕飯の片付けを中断し、寝室に行ってみる.
母「パジャマの薄いのを出してくれ」
私「台所の片付けが終わるまで待ったしゃい(どうかお待ちください)」
母「病人は待たんねんだ(待てないのです)!」
タンスから何枚かづつパジャマを出して見せるが、
「それじゃない,これじゃない」・・・まったく可愛くない。

○5月30日31日 姉、助っ人に来てくれる.両親の世話を任せ、独り樽田のブナ林へ気分転換に出かける。

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            (中略)
「進行」
◯母はその後リハビリ等によって要介護2まで回復致しましたが、父の運動能力はどんどん衰えて行きました。
ベッド脇のポータブルトイレに移乗するのも困難になり、自分でズボンを下ろすことも出来なくなっていきました。
 急に様子がおかしくなり、救急車で六日町の斉藤記念病院まで運んでもらったこともありましたが、処置のしようがないとのこと、「家で世話できなければ入院することもできますが、・・・どうしても寝たきりになるのや、認知症が早くなりますよ」とのこと、連れて帰りました。 
 ある日私が帰宅すると、「おい悪いけど、失敗してしまった。」自分でズボンを下ろせないし、母も手伝えないので、仕方ありません。汚物を始末し、ぬるま湯に浸したタオルで清拭します。子供の頃、母が弟たちのおむつを替えてやるのを見ていましたので、こちらはあまり苦になりませんが、下半身裸の父は「俺ももう長くないな」などと弱気のことを言ってはいつも母に叱られておりました。

◯年を越す頃には、父は寝返りも打てず、食事中座り直すことも困難になり、その度に介助が必要になっていました。  食事中は、高めの座椅子に座ってもらえば、座り直しが少なくなるだろうと、何度も座椅子を勧めたのですが嫌がります。ある時、食事の準備中にあまりにもしばしば座り直しを頼まれるので、つい私もイライラしてしまい、
「とにかく一度座椅子を使ってみらっしゃい」と言って、父を無理やり座椅子に座らせました。父は小さな声で「おっかね」と言いました。そう、自分の身体を支えることも出来なくなっていたのです。何だかものすごく申し訳なく、切ない気持ちになりました。泣きたいくらい申し訳なかったです。悪い倅でございます。すぐに元に戻しましたが、とても気まずい夕食でした。その夜、父からの呼び出し(寝返り、トイレ)の要求は半減致しました。その日の父の辛さを思うと、今思い出してもとても哀しいです。

       ・・・・・・・・・  

◯平成22年3月29日 父、肺炎で他界、享年90歳

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 今は、要介護1まで回復した母(視力は両眼0.01ほとんど見えてない)と二人暮らしです。血圧が高めで、コレステロール値が高い母は、乳製品ダメ、卵製品もダメ、油を使う揚げ物や炒め物もダメ、おまけに、父が居なくなってから好き嫌いもはっきり言うようになって・・・毎日の献立を考えるのが大変です。・・・・子育てに奮闘するお母さんや、献立に悩む主婦の気持ちが少しは分かる男になりました。(ハハハハ・・・・)
 今でも時々、父とのいろんな哀しいことをふと思い出して、感情が昂ぶり、運転中などに「ンガァ~~ッ!!」と叫んでしまうことがあります。
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 歳のせいか、何かをするときについ、
      掛け声が出てしまいます。 
        よっこらしょ
         どっこいしょ・・・・・

 今日も介護は続きます、
        よっこら介護、
         どっこいしょ・・・・・・・・

 

 あまり力み過ぎず、できるところは頑張って・・・
   手伝ってもらえるところは手伝ってもらって・・
      いっぱい感謝して・・・・
         できる範囲で明るく・・・・・・ 
  よっこらしょ
    どっこいしょ・・・・・・
  よっこら介護
    どっこいしょ・・・・・・ 

 (偉そうな事を言っては、もっと大変な介護(例えば認知症の方の介護)をしている諸先輩に申し訳ありませんが、これから介護を経験する人に私から・・・。)

※介護は、一人で頑張っても限度があります。
  とにかく早め早めに誰かに相談しませう!!
(誰か=役所の担当窓口や、介護経験のある知り合い等)
 頑張りすぎると『出口の見えない暗闇』に迷い込んでしまいます!!』

※現在母は要支援2まで回復し、施設に通っております。
  あの時姉は義母の介護で自分も大変だったはずなのですが、
 それでも私の為に度々助けに来てくれたのは、介護の大変さが
 わかっているが故の優しさだったのでしょう。我が姉ながら
 ほんとに感謝しています。
A2douso

・・・・・・・・・・・・・最後までお付き合い頂き有難うございました )・・・・・・・・・・・・

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