« 並んで並んで・・・ | トップページ | ありがとうの日 »

逆流性食道炎

2011年10月22日 作成

A0karinn_2
          我が家の かりん でございます。
          そろそろいいかな、と思って2個ほど採ってみましたが、
          まだ未熟のようで、あまり香りがいたしません。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※ 今回は「お山」の記事ではございません。
  カテゴリーをあまり増やすまいと思っておりましたが、
  ログブックですので、適当になんでも記録しておくことにしました。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2011年10月16日朝
  前日より、「のどが痛くて食物を飲み込みにくい」と言っていた母(85歳)が、
  朝食後 「なんぎ(しんどい、苦しい)から、病院に連れて行ってくれ」と言う。
  日曜日であるが、地元の病院に電話して9:00頃連れて行く。

  体温、脈拍、血圧、SPO2ともに正常範囲内、のども異常なし。

  「風邪」との診断で、風邪薬と喉のトローチをもらって帰る。

同日 14:20頃、
   トイレの入り口で母が佇んだまま動かないのに気付く。
   声を掛けるが、かすかに「なんぎ」と言って座り込む。

  一度立ち上がって便座の傍まで行くが、その場に座り込んで吐血。

  チョコレート色の血である。鮮血ではない。胃の辺りからの出血か?   

14:25   呼びかけても意識はないが、自力呼吸は確認できた。
14:26   右手で母を支え、左手で胸ポケットの携帯電話を取り出し、119番通報する。
   「火事ですか?救急ですか?」・・・・・・一瞬考えて「救急です」と答える。
   冷静でいようと思うのだが、額から汗が噴出すのを感じる。

       手首で脈を確認しようとするが、うまく脈をとれない。

   「あわてて当たり前・・・・」自分に言い聞かせる。

      トイレットペーパーで汗を拭き、母の胸元の血を拭き取る。
   嘔吐は、一回で止んだ。

14:35 救急車の音が聞こえてきたので、母を便座に寄りかからせ、  
   外に出て救急隊員を誘導しながら経緯を伝える。
  母は、呼びかけにいくらか反応するようになった。
14:42  隣町(市)の病院に搬入してもらうことになり、
  私は後から保険証をもって自分の車で搬送先の病院に向かう。
15:10  病院に着き、救急医の話を聞く。
  「上部消化器系からの出血と思われますが、現在出血は止まっているようです」  
  との説明。救急処置室の外で待つ。

  待つ間にも次々と救急車がやってくる。
  近くの部屋から「発作が始まりました、先生呼んで・・・」
  救急室に居た医師や看護士が大勢そちらの部屋に移動する。
   機材を積んだカートが運び込まれ、酸素ボンベのようなものが運ばれる。

     ピーーーーー(バイタルの警報音?)音が鳴り続ける。

  ここでは生死の境をさまよう患者と、それを救おうとする医療従事者の
  まさに「生き死にをかけた戦い」が繰り広げられているのを実感する。

16:50  ようやく一段落して、改めて医師の話を聞く。
  「出血は止まっているようですので、今日レントゲンとCTを撮っておいて、
  明日、内視鏡検査で出血部位を特定しましょう・・・・・・・」
  母は、とりあえず「生」の側に残れそうである。
  入院になるので、姉に電話をして付き添いの手伝いをお願いする。
  この日は病院に泊り込む。
10月17日 内視鏡検査の結果、軽度の逆流性食道炎と診断。
  傷口はすでに治癒しつつあるとのこと、当面の絶食と、
  一週間程度の入院となる。一安心ではあるが
  運動不足により、「寝たきり」になる心配もある。

   ・・・・・・・・・・・・・・・
10月21日 退院
  母によれば、倒れる前に「これで死ぬ」と思ったそうで、
  吐血した前後のことはまったく覚えておらず、
  それでも、救急車の中で救急隊員に
  「もう死ぬんだからかまわないでくれ(ほっといてください)」と言ったそうです。

  倒れた時、私が側にいて気づいたのが不幸中の幸いで、

  なかなか目を離せない母であります。  

10月22日 六日間の入院でだいぶ歩行が怪しくなってしまったが
  食欲はあるようなので、少しづつ歩行練習をしてもらう。

  母上、これからはまたリハビリですぞ。がんばってくだされ。

ま、大事に至らず(?)
良かった、   良かった・・・・・・・・。

   よっこら介護、どっこいしょ・・・・・

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記(10月24日)【駆け引き】

 入院前の母の家事分担(?)は、朝晩自分の部屋と隣の部屋の雨戸を引くことでした。

伝い歩きしながらも、何とかやってくれてました。(握力と引く力のトレーニングを兼ねる、目はほとんど見えないが、自分の家の中は位置関係を覚えている)退院直後を除き、またやってくれるようになったのですが、23日夕方私が廊下の雨戸を引いていると「私の分もやってくれ」という。

私が「自分の担当は自分でやらっしゃい(自分でやりなさい)やらねと出来なくなるぜ」(やらないとだんだんできなくなりますよ)というと

定位置に座ったまま、ニコッと笑って「今日は特別」といって手を合わせる。
つい、私がやってしまいました。
介護施設でいろんな高等テクニック(?)を身につけてくるようです。
 気をつけねば・・・・・・・・・

よっこら介護、どっこいしょ・・・・・・・・・

  ・・・・・・・・・・おしまい・・・・・・・・・

|

« 並んで並んで・・・ | トップページ | ありがとうの日 »

よっこら介護どっこしょ」カテゴリの記事

コメント

越後屋さん,母上様のこと,大変ですね。
お見舞い申し上げます。

昨年,天狗山荘でご一緒した際に,お話をうかがっていたので,いくらか承知していました。
この7月に母を亡くして自分なりに思うのは,介護をしていない者でさえ,医師から病状の厳しいことを告げられ,一進一退の症状に付き添う日が数日続いただけで,精神的に追い込まれるものだということでした。
母上様の病状,リハビリが順調にいかれることを願うとともに,越後屋さんの健康を心配します。
ご自愛ください。

投稿: yasu | 2011年10月24日 (月) 23時41分

yasu さま
 ご心配、お見舞いありがとうございます。
母は順調に経過しており、しばらくのリハビリで、ほぼ元通りになると思います。
 ご母堂様の最後に立ち会われたときのお気持ち、お察しいたします。
 両親ともに寝たきり(要介護4)になったときは、正直ほんとにしんどかったですが、幸い姉弟が時々サポートに来てくれるので救われます。与えていただいた休日には「パチンと音がするほど」切り替えてほかの事に専念することにしています。ずいぶん贅沢をさせていただいてると思っております。
 父は昨年肺炎で他界し、母は現在要介護1まで回復しましたが、時々いろんな事が起きます。 
 ま、 できる範囲で・・・・、そして、できる範囲で 明るく・・・・・・
 よっこら介護どっこいしょ・・・・・やっております。

  ではまた   お元気で     越後屋 拝
 
 

投稿: 越後屋 | 2011年10月25日 (火) 04時29分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 並んで並んで・・・ | トップページ | ありがとうの日 »