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てっぺん

2009年 2月1日 (日)  

今朝の津南町(大割野地区)
昨日の雨は、夜になるとともに雪に変わりましたが、
ほとんど積もりませんでした.
今朝も,先ほどは,ふわふわと風に舞う程度の雪で
時折薄日が射しておりました.
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(昔のお話)

『てっぺん』 (記事『Mt.Mc』および『ペテン師』の続き)


「197X年7月15日 雪  停滞」

「7月16日 快晴 C1よりC2(5240m)に入るM副隊長・ナベとC2への荷上げ隊H隊長・越後屋・モリ・MOBで進む.皆元気で結構はかどる。積雪は深いところで股下くらいである.コルより1ピッチで前回のデポ(荷物の集積)を回収し、そこより2ピッチでC2予定地(5240m)に到着。」ここから頂上を狙います.


(下の地図は、クリックで拡大します)
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(たぶんC1手前(12,300feet)の辺りからのMt.フォーレーカー)

「7月17日 快晴 M副隊長・ナベはC3(デナリパス5550m)建設に向かい、他はC1からC2入りする。デナリパスへの斜面は所々クラストしており、傾斜もきつく雪崩誘発の恐れ大いにあり。」 デナリパスへの斜面は、今でもしばしば滑落事故の発生する場所のようです.

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(たぶんC2からのMt.ハンターとM副隊長)
なにしろ、お天気のよいときにしか写真を撮りませんので、
お天気の良い時しかお伝えできないのが残念です.


【ラッセル】スキー隊はウエストバットレス取り付きの4600mくらいまでスキーを使用する.上部はかなりのラッセル.かんじきを目一杯前に出しても、体重を移動すると元の位置までずり落ちてしまい,なかなか前(上)に進めません.私は雪国生まれなのにラッセルが下手だとバカにされました.(ほんとは他の人よりちょっとだけ足が短いだけなんですけど・・)新雪雪崩誘発も怖い所です.上部にはFIXザイルがありました.もちろん他のパーティーがいないので新雪が降るとトレースなんかありません.全員C2入りし、アタック体制整う。
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さて、いよいよ登頂です。
「7月18日 晴・ガス・雪 南峰登頂 朝方より真っ赤な朝日がさして天候が崩れると思われたので、出発を1時間早めて出発する.2オン3パーティーに分かれて進む.デナリパスまでに高度障害が出た者がいて、各パーティーにより大分差が出てくる.パスより視界が悪くなり始めるが、トレースは微かについている.ウエストバットレス分岐点より尾根はなだらかになり、帰りの道が危ぶまれるので赤旗を10mおきに立てながら進む.パスより2ピッチ半で頂上につく。午前10時25分である。頂上は赤旗とフィックスドバーがあるがここが真の南峰かと疑わしいほど視界が悪い。頂上より3パーティー合流してC2に戻る.」
 この日は,私とM副隊長のザイルパーティーは快調で先頭を切って稜線に出ました.が・・・・後続がこない.吹雪の中で待つこと25分,ようやく合流.

よっこらしょ
 どっこいしょ
  全員仲良く登頂です。



【登頂】ようやく「てっぺん」到着です。視界は全く効かないホワイトアウト状態ですが、写真で見覚えのある太いジュラルミンのポールが立っていました.「やった」という気持ちと「これで帰れる」という気持ちが半々くらい。「猿回し(ザイルにつながれた人間が、ザイルの届く範囲で行動)」で周囲を確認するが,写真で見た頂上の地形とほぼ一致します.周囲で一番高い所にほぼ間違いないようですし、ポールも立ってます。ちなみに,南峰頂上での写真は持ってません.誰か撮影していると思うのですが・・・・。

 景色も見えないので、とっとと下山です.

【高度障害】日本を発つ1週間前、高度順化も兼ねて富士山の頂上で1泊しました(6月の末だというのに猛吹雪でテントが飛ばされそうでした。それで即、高度順化ができたとは思いませんが,山に入ってからの体の対応が少しは早まったと思っています)。
 だいたいその時弱かった順に障害が出ていたように思います.私の場合は、疲れているのに眠れない程度で、あまり酷い頭痛にはならなかったと思います.それよりも虫歯が痛みだしたのには困りました.若干、意識障害の認められる者も居りました、医療係のモリは行動中頻りに「薬箱は誰が持ってるんだっけ?」と言ってました.彼が持っているので、そのことを確認するのですが、しばらく歩くと又同じ事を言い出します.それが高度障害によるものか低体温症によるものだったのかは定かではありません.頂上直下の風の強い斜面の所々に他の隊の「嘔吐」のあとがありました.あるいは「高所大脳浮腫」が既に始まった人達の痕跡かもしれません.無事に下山できたのでしょうか?少なくとも「早急に下山させなければならない」状況だったと思います.

 
 テントに帰ってしばらくすると,同じ日に登頂したR大の3人パーティー(彼らは、私たちより下部にテントを張っていた)が下って来たので,「オレンジジュース」を振る舞いました.「おいしい.ごちそうさま有難う」と言って下って行ったのですが,あとでこれを味見したらどうもおかしい.同じ黄色の粉「コーンポタージュ」の粉末を水溶きして飲ませてしまったようです.私も雑になっていたんですね.さらに、登頂祝いにコーヒーゼリーを作ったのですが,早く冷やそうと思って外の雪の上にコッフェルを出しまして.その上に雪のブロックを載せてテントに入ったのですが・・・・
コッフェルのふたがそこにある!,慌てて外を見ると雪のブロックが丸くくりぬかれてコッフェルの中に入っていました.登頂直後で疲労困憊とはいえ致命的なミスでなくて良かったです. (あわてない あわてない・・・)

【C3(デナリ・パス)】
ここにキャンプを設ける隊は少ないのかもしれませんが,C2(5240m)から頂上(6194m)アタックするとかなり長時間の行動になり,避難場所として有効だと思います.また、デナリパス(C3)からの下りの斜面トラバースは雪崩や強風の為帰りに通過が困難となることがありますので,C3を設置して正解だったと思います.実際、C3から一度下りかけたけれど、地吹雪で足を置くまで足元の傾斜すら分からない状況になり、引き返し、C3で風が弱まるのを待ったことがあります.また,私たちは北峰へのアタックキャンプとして使用しました.
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「7月19日 曇り 休養停滞」

【凍傷】登頂の日にMOBさんの足が軽い凍傷になりました.6人の中で唯一ダブルの靴を使用していたのですが,靴の手入れが悪かった(何度かの遠征でかなり使い込んでいた)ようです.インナーとアウターの間に霜が降りていました.治療は炊事用の圧力釜にお湯を入れその中で・・・・・。ちなみに私はこの山行の為に新調したLOWAのチベッタ(シングル)という靴に毛糸の靴下二枚で、あとはスパッツという出で立ちでした.当時の写真を見ると、オーバーシューズは使っていなかったようです.あとは時々アルコールで足を拭いて清潔の保持に努めました。結局凍傷騒ぎはこの一件だけでした.素手でピッケルやアイゼン等金属に触るとひっついてしまう等は日本の冬山と同じです.とにかく靴とシュラフはこの時新調しました.羽毛服等はOBから拝借しました.寒さが、一番体力を消耗させると思います.

【最低気温】
C2(5240m)でマイナス23度くらいまで下がりました.「くらい」と言うのは、持参した温度計の下のメモリがマイナス20度までしかなかったからです.C3(デナリパス5550m20日・21日・22日)ではもう少し下がっていたと思います. 夏(7月)とはいえ、北極圏のすぐそばのお山です.(ちなみに、空気の薄さはヒマラヤの7000m級に匹敵するそうです.赤道に近い方が,大気の層が厚いのだそうです.)

【C2】
C2に滞在中も周囲は私たちのテントだけでしたが,周囲を探検したら潰れかけた雪洞がありました.高さ6〜70cmほどの這ってしか入れないものでしたが,結構広くて,残置された食料等が散乱していました.いざというとき(テントが吹き飛ばされた時?)つかえるかなと思いました。
 その後、植村直己さんが消息を断ったのはこの辺です.どちら側に落ちてもクレバスに落ちたり、雪に埋まってしまったのならば、たぶん半永久的に発見できないでしょう。

(もう少し 
続く・・・

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